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2007年2月12日 (月)

■漫画博物館/宇宙

漫画博物館/宇宙

 宇宙を舞台にした漫画作品は少なくない。夢を描く漫画というものだからこそ、とも言えるかもしれない。
 まずタイトルに「宇宙」が付くものというと、「宇宙人」や「宇宙船」が目につく。特に昭和30年代~40年代の作品には多いようだ。例えば横山光輝の『宇宙船レッドシャーク』、一峰大二の『宇宙人マッハ』など。
『宇宙船レッドシャーク』は、海外のSFドラマを見ているような、まさに宇宙時代を夢みていたころの匂いを感じる秀作だ。『宇宙人マッハ』の方は、「スーパーマン」的なヒーローもの。

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2006年10月 8日 (日)

■漫画博物館/都市

■漫画博物館/都市

私は都市を肯定も否定もしないわ。
だって私自身が充分ひとつの都市ですもの。
Psycho-Lady 奥平イラ

 漫画作品に於いて描かれる都市には未来都市、SF都市が多く見られる。すべてがコンピュータによって管理される無味乾燥な世界というのが多いようだが、永井豪『都市M1(シティエムワン)』も人口問題から男性だけの都市、女性だけの都市、男女の都市が作られ、それぞれが脱走、密入国を厳しく禁じている世界が描かれている。舞台はM1、つまり男性の都市で、主人公は国境警備員として脱走者を取締り、あるいは射殺しながら彼らの気が知れないと思っている。ある日、女性アンドロイドのフリをして密入国した女性、ラブを買い、しだいに脱走者たちの気持ちを理解してゆき、ラブが本物の女性だと知ると、男女の都市への脱走を試みる。が、同僚に発見され、ラブを殺せば見逃してやると言われるのだった。
「リック、きみはまだ罪を犯してはいない! きみは女にだまされただけだ! 女を殺せ! きみの無実は証明できる」「ピコ! おれは逃亡者だ」
 同僚の銃で炎に包まれてゆくリックとラブ。炎がやがてハートの形となってゆくラストシーンは感動を呼ぶ。
 同じ永井豪には人間がコンピュータに支配されている世界に地球人が迷い込み活躍する『超人間(ヒューパー)現る』という作品もある。
 石森章太郎の『サイボーグ009』にも「未来都市~コンピュートピア」というエピソードがあり、コンピュータによって都市機能のすべてが制御されているうえ、心理装置というものがあり、つまり感情を持ったコンピュータが都市を管理している。石森には他にも『リュウの道』でロボットシティを描いているが人間が生活するには機械による管理は合理的すぎるようだ。
 藤子不二雄にも同様にコンピュータが意思を持ち、しかも“移動”出来る都市が登場している。『街がいた……』がそれだが、都市は人間を寄生虫くらいにしか考えず、すべて焼却炉で処分してしまっている。しかしその存在が明らかになったとき、都市は再び人間の手中に落ちることより自滅を選び、自ら火事を起こし消失してしまう。
 光瀬龍の原作を萩尾望都が見事に漫画化した『百億の昼と千億の夜』に登場する「ZENZENシティ」はロッカーのようなコンパートメントに眠る住人たちが夢のなかで自分の理想の生活を送っている。これは一種のユートピアといえるかもしれない。
 このようにSF的、未来的な都市を描いた作品には他に、柴田昌弘の『未来都市バラン』などが思い出される。
 都市は地上ばかりにあるわけではない。近く完成するだろう宇宙ステーションもやがて都市としての役割を担うだろうし、月やかの惑星にも都市は建設されてゆくだろう。そんな中でこの地球上でありながら未だ未開発なのが海である。
 星野之宣の最初の長編作品『ブルーシティ』はその海を舞台にした物語だ。ある日謎の伝染病が地上に拡がり、人類は海底都市『ブルーシティ』に住む一握りを残してほとんどが死滅してしまう。ブルーシティに残された主人公たちがいかに生き延びてゆくかを描いてゆくうち、人類を死滅に追い込んだ伝染病が、実はある科学者によってバラまかれたものであることが判明。それは人類を水性人類にする恐ろしいウィルスだった。残念ながら未完に終わったこの作品には、いまだにファンが多く、物語の再開を望む声も高い。
 海底都市は題材として描きにくいのか他には山田ミネコの『西の22』、藤子不二雄の『海の王子』などに登場する程度で印象的な作品は少ない。
 都市といって一番身近に思い出されるのはやはり“東京”ではないだろうか。「東京は人間の時間をたくみにかすめとるところです」と言ったのは永島慎二の『旅人たちNO3』に登場する老人だった。永島慎二は代表作『フーテン』や『若者たち』においても東京という時間があっという間に過ぎてゆく街を巧みに描いてみせている。
 塩森恵子の『31日水曜日』では大晦日から初日の出までを山手線に乗ってぐるぐる回ることで過ごした青年の目を通して、日常とは違う顔を持った東京を描いていた。
 しかし東京は犯罪都市でもある、ということを見せてくれたのは谷口ジロー・関川夏央の『無防備都市』だ。犯罪多発地域に配属された主人公の部長刑事とその仲間によって描かれる東京は、ゴミゴミとして人間くさい街だ。同じコンビによる『事件屋家業』でも街は同様に描かれ、都市にはハードボイルドが似合うということを教えてくれる。谷口ジローには他に未来都市を舞台にしたハードボイルド作品『ハンティングドッグ』もあるが、センチメンタルな短編で『東京幻視行』というのが実に心に染みる。
 現実の東京を舞台にしていると思って読んでいたら、それは巨大なビルのワンフロアであり、そのビルも実は超巨大な宇宙船であったというのは、板橋しゅうほうの『アイシティ』だ。ヘッドメーターズという人工的に超能力を引き出された主人公と、世界の支配をもくろむ組織との戦いを描いた作品で、アニメ化もされた。同じ板橋作品には『ヘイ!ギャモン』という未来世界を舞台にしたサイボーグものもある。また『凱羅』という作品では、都市の声を聞く能力をもつ主人公が活躍する。
 この東京が崩壊してゆく姿を描いた作品もいくつかあるわけだが、何といっても大地震によって東京が崩壊してゆくのを迫力ある画力で描ききった永井豪の代表作『バイオレンスジャック』が第1に思い浮かんでくる。林立した高層ビルから割れたガラスが雨のように降り注ぎ、地割れの亀裂から都市ガスが吹き出し、地盤の弱い土地が東京湾に沈んでゆくのは東京に住む我々には実際に起こりえることだけにリアリティがある。またこの作品が発表された当時は関東大震災級の地震がいつ来てもおかしくないと言われていたときだけに、その恐怖感はさらに強かった。
 同様に大地震で東京が崩壊するのは、永島慎二の『東京最後の日』だ。この作品の場合、1年後に東京が地震で壊滅するという予知夢をみた主人公がどうせ地震がくるのなら1年間思いっきり遊んでやれ、と仕事も辞めて楽しむというもの。実際に“その日”が来てみるとなにも起こらず、その翌日に地震が起きるのだが、主人公はひとり廃墟の東京に生き残り「なぜ自分が死ぬと思ったんだろう」と自問する。
 東京は何でもあって便利な場所だが、一歩間違うと迷路のようなところでもある。そんな一歩間違えてしまったサラリーマンの物語が、諸星大二郎の『地下鉄を降りて…』だ。地下鉄を利用して毎日通勤している主人公の中年サラリーマンは、ある日ふといつもは通らない地下街へと足を向ける。するといつもなら迷うこともなく家と会社を往復していた地下街が迷路のように入り組み、自分の行きたい方向へなかなか進むことができないことを知る。とにかく地上へ、と上へ上へと上ってゆくと、そこは高層ビルの屋上。「しまった! 降りなくては」と階段に向かうが、またあの地下街の迷路に迷い込むのかと思った主人公は、そのまま地上へと飛び下りてしまう。『猫パニック』という作品も東京という都市を皮肉ったものだが、あるきっかけ(ここでは普段3回顔を洗う猫がたまたま2回だったということ)で集団心理からパニックが起こり都市機能が麻痺してしまうという、過密都市東京の恐ろしさを描いている。『浸蝕都市』では人口が増加し食料が不足した世界では、あらゆるものを原子に分解して食料として再合成されている。その原料の中には人間も……。映画『ソイレントグリーン』を彷彿とさせる作品である。
 諸星には他に『生物都市』という手塚賞受賞の名作があり、木星の衛星イオから帰還した宇宙船が持ち帰った作用が、あらゆる金属を通して生物と無生物を合成させ意識を共用させてゆく。これも一種のユートピアだろうか。
 都市をテーマにした作品を拾ってみたが、まだまだ本格的に都市をテーマにした漫画は描かれていないような気がする。都市を主人公にした名作があってもいいように思うのはボクだけだろうか?

「TOWER・都市号」(森海社刊)、のちに「放課後メイト・VOL5」(ビデオ出版)

2006年10月 7日 (土)

■漫画博物館/人形

■漫画博物館/人形

酒井一夫はいなかった。姿を消していた。
なぜだ!なぜだ。
そしてそのかわりに洞穴の中で深い穴へ落ちたはずの……「ユカリ!!」
『風穴』手塚治虫

 人形が怖い、という感情はどこから沸いてくるのだろうか。人によってはフランス人形が怖いと言い、別の人は日本人形が怖いという。実在の人物そっくりに作ることで恐怖を与える蝋人形などもあるが、人の姿に近くなればなるほど怖さを感じる人形というものの不思議さを感じずにはいられない。そんなこともあるのか、人形をテーマとした物語には恐怖がともなうものが多いような気がする。
 山岸凉子の『わたしの人形は良い人形』もそんな恐怖譚のひとつ。雛人形がからむ作品には他にも『ひいなの埋葬』もある。 そういえば人形には怪談がよく似合う。髪が伸びるという人形や血の涙を流すという像、どれもが女性の姿をしているのにはなにか理由があるのだろうか?
 血を吸う人形という話もある。楳図かずおの『猫目小僧~妖怪千手観音』では観音像を崇拝するあまり、人の血を木像の観音に与えつづけていた尼僧が登場するが、ついには観音自体が生命を持ち、血を求めて人を襲いはじめるというもの。なまじ生身の身体へと変じてしまったため観音は胸に傷を受け死んでしまうのだった。
 松森 正・河北正郎の『恐怖への招待~人形綺譚』でも人の生き血を吸う人形が登場するが、この場合人形自体が血を必要とするのではなく、人形を操る魔女の元へ生き血を運んでくる道具にすぎない。
 人形には呪いというイメージも強い。藁人形などはその代表だろうが、そういった人形が多く描かれたのは藤子不二夫の『魔太郎がいく!』や古賀慎一の『エコエコアザラク』といったホラー作品だ。藤子不二夫では『ブラック商会変奇郎』でも人形がテーマとなる話があった。
 ホラーというか綺譚の雰囲気が漂うのが高橋葉介の初期の短編『新しい人形』だ。ある少女が人形を愛し大切にしているが、ある日父親に「お母さんがいない間、いい子にしていたご褒美に新しい人形を買ってあげる」と言われ、それまで大切にしていた古い人形の手足や首をナイフで切断してしまう。そんな少女も産院から赤ん坊を抱いて帰った母親に、バラバラにされてしまうのだった。
 人形に恋する、人形を愛してしまうという心理をピグマリオン・コンプレックスと呼ぶが、そんな要素を感じる作品はわりと多いようだ。なかでも手塚治虫の『ザ・クレーター~風穴』ではレーサーの主人公はマスコットの等身大のマネキンをレース中でも隣に置き“ユカリ”という名をつけて常に行動を共にしている。彼とはライバル同士のレーサーでルームメイトでもある酒井一夫は突然ふたりの生活に入り込んできたマネキンの存在が許せず、主人公と衝突してゆくことになる(作品ではストレートに描かれはしないがどう考えてもホモセクシャルな要素が感じられる)。ある日人形を捨てるか、どちらかが部屋を出ていくかを話し合うため、レースの終わったあと富士の風穴でふたりは話し合うことになる。もちろんユカリもいっしょだ。そこで一夫はユカリを手放さないという主人公に逆上し、人形を壊そうとするが、誤ってユカリは穴の奥底に落ちていってしまう。「すまない。オレを殴るなり蹴るなりしてくれ」と頭を下げる一夫に怒りを抑え「帰って弔いでもしてやるさ」と出口に向かう主人公。しかし一夫に追われて逃げ回ったため出口が判らなくなっていた。「あきらめるな。きっと出られる」と励ます一夫。やがて外に出ることができ、近くの病院に担ぎ込まれた主人公が気がつくと、病院の玄関には煤けたマネキンが倒れていた。彼を助けて風穴を出てきたのは一夫ではなかったのだった--。
 マネキンである“ユカリ”はいっさい口を利いたりということはしない。むしろ人形は人形のまま描かれているのだが、それだけに主人公の人形を愛する気持ちを読者が理解するのには少し距離ができてしまう。人間の女性ではなく人形を愛する主人公の心理を理解するのは本来難しいはずだが、サラッと「ぼくは彼女を人間として愛しているんだ」と説明してしまう手塚の説得力には頭が下がる。
 この作品が掲載されたのと同じ「少年チャンピオン」では手塚はその後『やけっぱちのマリア』という異色作を連載している。これは父親だけに育てられた主人公ヤケッパチの無意識に母親の優しさや愛に飢えた心がエクトプラズムの分身という形で分離し、父親が作ったダッチワイフに乗り移り人間のように生活するようになるというもので、性教育を漫画で行おうとする側面も持っていた。しかもそれは押しつけるようなものではなく、自然に読ませるというところに手塚の巧みさを感じる。物語自体はいささかメチャクチャな感はあるもののインパクトのある作品だ。
 成毛厚子の『愛しすぎた人形師の悲劇』は仲のよい人形師の夫婦がいた。妻はある家に奉公に行っていたが、ある日その家の主人に襲われ危うく逃げ帰ってくるのだが、世間では妻のほうが元々気があって、今ではその家の主人とはいい仲だという噂がたってしまう。人形師の夫もその噂を信じてしまい、妻を疑う夫は人形だけを愛するようになっていく。妻は苦悩し、夫が人形を抱いているのを目撃してしまうと、夫の愛を取り戻すには自分も人形になるしかないと思い、人形になってしまうのだった。 人間を人形にしてコレクションするという話が村祖俊一の初期作品にもあるが、かれの作品のなかでは『快楽人形』が印象的だ。不気味な夜店で少女の人形を買った主人公。部屋に帰ると人間の少女が突然現れ「ここにおいて……愛してくれればいいの……」と彼の腕のなかに--。少女を愛することによって人形に興味を無くした主人公は、人形を壁に投げつける。こなごなに砕け散る人形と同時に少女も涙を流しながら--。村祖には他に『振袖人形』という呉服屋のショーウインドウに飾られたマネキンに恋をする男の話がある。マネキンを盗んで局部に大人のおもちゃを仕込んで楽しむという内容なのだが、マネキンを擬人化して描いているので股間にドリルで穴を開けたり好き放題に犯したりするシーンは壮絶である。
 人形好きの作家にはいつきたかしという人がいて、ハンス・ベルメールの人形のような絵をよく描いている。作品では『四畳半のアリス』という短編が印象的だ。安アパートで隣の部屋に住む売春婦への想いを伝えることができない主人公の青年は、自分で作った少女の人形にそれを投影する。淡々としたテンポとドス黒い描き込みがいつきの作風なのだが、『少女人形』という作品では人形を愛する少年だと思っていたのが実は人形だったというもので、ラストで人形は射精してしまう。
 宮西計三の『コピー』やつつみ進の『通り魔パートⅢ』でもダッチワイフが印象的に使われていた。
 人形を愛するのではなく、人形に愛されるという作品が坂口 尚の『恋人』だ。ゴミ捨て場に捨てられていた人形をひろって壊れていた箇所を修理し、汚れていた服を新しくしてやり--やがて自分の感情が人形に何かを求めていることに気づいた主人公は苦笑して人形を手放す。しかし人形は自分の足で帰ってくるのだった--。
 人形同士の恋愛、物語というのも少ないがある。
 まず恋愛だが、阿保美代の『トクトクトク』が印象深い。人形同士の恋とその恋に割ってはいる魔女の人形という設定はありがちだろうが、魔女によって石に変えられた愛し合うふたつの人形の心臓がいつまでも動いていたというラストシーンは感動的だ。このようなファンタジー作品には、石森章太郎の『青い月の夜』などもはいるだろう。これも実に印象的な作品だ。
 人形による侵略という話もある。再び手塚の作品になるが『グランドール』という作品ではインベーダーが人間型の人形を使って地球侵略を企む。そういえば『マグマ大使』に登場した“人間もどき”も一種の人形か。似たようなものでは『ミクロイドS』にも実在の人物そっくりの、人虫がいっぱいに詰まった人形をギドロンが人間界に送り込むというエピソードがあった。
 人形を描くとき、たいていの場合は擬人化して描かれる。人間のように話したり動いたりということだが、それはあくまでも表現上の問題である。ところが内田善美の『草迷宮』とその続編『草空間』に登場する日本人形、通称ネコは主人公・草の友人たちの目から見ても人間の女の子に見えてしまうのだ。ハッキリとした意思を持ったひとりの少女として人形から変じようとしていくなかで、草も何かを学び成長してゆくという物語なのだが、じつに味わい深い作品である。
 普段はその存在をつい忘れがちな人形だが、人形はこちらを見ているのかも--?

「TOWER・人形」(森海社刊)、のちに「放課後メイト・VOL4」(ビデオ出版)

2006年10月 6日 (金)

■漫画博物館/氷

■漫画博物館/氷

氷の音叉のおびただしい集積体が氷の森である。
……あるいは全民族的なメモリーバンクというべきだろうか。
『冬の惑星』星野之宣

 井上陽水の楽曲で『氷の世界』という有名なものがある。非常にノリがよくて好きな曲だ。この氷の世界という言葉で思い出されるのは南極や北極といったまさに氷で出来たような場所ではないだろうか。その南極を舞台とした作品が水樹和佳の代表作のひとつ『樹魔』である。
 西暦2500年、地球は膨大な数の巨大流星群に襲われた。激突が予想されたものはすべて大気圏外でミサイルに破壊されたが、それでも大小1000万個の隕石が世界に降り注ぎ、地上は大打撃を受けることになった。それから5年。閉鎖されていた南極基地が再開されることになり探査機を飛ばしてみたところ、南極に森林が発見された。20トン級の隕石から“進化”しながら10キロに渡って広がっているその森。あらゆるデータを検討しても確証が得られないその答えを最新の科学「瞑想」によって導き出そうとする主人公イオが人類が初めて遭遇する“森”に挑む。
 それまでいわゆる少女マンガ的な恋愛ドラマばかりを手掛けてきた水樹和佳がいきなり「ぶ~け」誌に発表した本作はSFとしてかなり高水準の出来で驚かされた。また続編『伝説』も良くできた作品だったが『樹魔』の完成度に比べると蛇足の感を拭えないのは致し方ないだろう。
 他に南極を舞台とした作品には、星野之宣の『ホワイトアウト』がある。これは南極踏破を描いた作品。手塚治虫の『マグマ大使--ブラックガロン編』では、マグマ大使とブラックガロンの対決の場所として南極が選ばれている。しかし南極を舞台としたもので印象に残っているのは東宝映画の『妖星ゴラス』に登場する地球ロケットのロケット基地だろう。
 南極とくれば次は北極である。南極と比べると北極は神秘性に欠けるのか現実的な話の舞台として描かれることが多いようなきがする。例えば久松文夫の『スーパージェッター』ではオーロラ帝国編で世界征服の野望を抱くオーロラ博士のオーロラ基地がある場所として北極が登場するし、ハイド博士の陰謀編では故障したジャガーのタイムマシンが北極海で氷山に激突して終わっている。関川夏央・松森 正の『南アラスカ海流』では第2次世界大戦末期にドイツのUボートが北回りで日本に向かう途中、北極点付近で撃沈されたという記録が見つかり、ヒットラーの遺産が積まれたそのUボートを引き上げようという話。北極海で氷詰めとなったUボートのなかには乗務員が当時のまま眠るように死んでいるのだった。
 氷詰めといえば松森 正・林 律雄コンビの『危険な飛行』のなかにある嵐の湖というエピソードでも第2次世界大戦中に撃墜された幻の日本の爆撃機“富岳”と、嵐のため墜落した旅客機が、凍りついた湖に沈んでいた。
 また藤子不二雄のデビュー作『ユートピア--最後の世界大戦』では最終兵器として何もかもをも氷詰めにしてしまう氷爆というものが登場する。これは人類がロボットに支配されてしまうSF未来史を描いたものだが氷爆とう発想は水爆からのインスピレーション以上のユニークさがある。
 松本零士の『ザ・コックピット』にも妖精氷河帯というエピソードに人間が氷詰めになるシーンがあるが、妖精氷河帯と呼ばれる極地の観測ドームで、戦争ではなかったら観測員だったふたりの男がやはり戦争ではなかったら観測員だった敵国の兵士と顔を合わせる。が武器も凍りついてしまい戦うにも戦うことができない。そのうちお互いに相手が同じ防寒コートを着ていることに気づき、共同観測をするはずだった観測員なのかも知れない、武器が凍りついたのも妖精の力かもしれないと思いだす。そして、妖精に導かれ敵同士の兵士たちは観測ドームの中へ。「妖精氷河帯に凍りついた人間の心は永久にとてけよみがえることはない……」
 松本零士には『銀河鉄道999』にも遠い迷い星の影というエピソードに氷詰めの人間が登場するが、これは機会の身体を手に入れた人間たちが、生身の肉体を冥王星の氷のなかに保存しているというもの。
 冥王星は氷の惑星というイメージがあるようだが、石ノ森章太郎の『ファンタジックワールド・ジュン』にも氷の惑星が登場している。もっともこの場合はあくまでもイメージであって、心象風景としての氷の惑星ではあるが。
 氷の国を描いた作品としては、たむらしげるの“フープ博士シリーズ”に『フローズンランド』というエピソードがある。
 飛行機械を発明した博士はそれに乗って飛び立つが、舵を付け忘れていたためフローズンランドまで飛んでいってしまう。フローズンランドには彫刻家がいて、雪像を作っているが、その雪像は気温が極端に下がると生命を持ち雪と氷の楽園を作るのだった。また時計もビスの一本一本までが氷でできている。しかし太陽が昇り気温が上昇すると雪と氷の都市は溶けてしまうのだった。
 永井 豪の『あにまるケダマン』のケダマンの家はパネルの内側に広がる異次元空間で、東の門から入るとそこはジャングル。西の門は砂漠、南の門はサバンナ、そして北の門から入ってみると氷の国が広がっている。この氷の国には氷の精・氷の女王が支配している。
 また『ドロロンえん魔くん』では地獄界に雪女族の国があり、氷屋敷や氷風呂なんてのが登場していたが、えん魔くんの人間界の住処“妖怪別荘”の雪子姫の部屋もすべてが氷でできていて、氷プールがあった。雪子姫自身、妖術は氷を使うものが主であった。
 さて、この地球もかつて氷に覆われたことがある。つまり氷河期であるが、古いほうからギュンツ氷期、ミンデル氷期、リス氷期、ウルム氷期と呼ぶ。
 氷河期がまた来るという説は以前からあるのだが、逆に大気汚染などで温室効果が起こり地表が高熱になるという恐れもある。自然現象としての氷河期が来るが温室効果のためけっきょく現在のまま、という説まである。
 石ノ森章太郎の『時の狩人』は未来世界の人妻と青年が愛のない時代から脱出するべく時間の流れのなかに駆け落ちするというもの。最後のエピソードでは未来の氷河期の世界が舞台になっている。
 小室孝太郎の『ワースト』は漫画史に残る名作だが、ある日突然全地球規模で雨が降り、その雨に濡れた人間はワーストマンという怪物に変身してしまう。ワーストマンに噛まれたものも同様に怪物になってしまうという絶望的な世界で、運良く難を逃れた主人公たちが人類の生存をかけてワーストマンと戦う物語だ。十数年にわたる人類とワーストマンとの戦いののち、地球は急激に氷河期に突入し、人類もワーストマンも雪と氷の世界に閉ざされてしまい20万年の時が流れる。その後再び地上に現れたのが人類なのかワーストマンなのか、誰も知らない……。
 星野之宣は氷河期をテーマにした作品をいくつか描いているが、もっとも古いものが『太陽惑星イカルス』で、これは大気汚染などで暑い雲が世界を覆い、太陽熱が地表まで届かず、疑似氷河期というものに世界が覆われるため太陽熱を吸収し地表にレーザーエネルギーとして照射する人工衛星イカルスの打ち上げを描いたもの。次にくるのが『暁の狩人』だが、これは大きな意味でデビュー作『はるかなる朝』の前のエピソード。氷河に追われる原始の人類を描いた話だが、主人公の名前が『はるかなる朝』と同じクレイトーとアトルである。3作目は長編『巨人たちの伝説』で、『太陽惑星イカルス』の発展型と言っていいかもしれない。第一部では古代の地球に存在した巨人族が氷河期と地軸の変動により滅ぶまで、第二部では近未来の氷河期が迫った世界で、木星を爆破し第二の太陽にしようというものである。映画『さよならジュピター』も似たような話だ。
 谷口ジローはハードボイルドやしみじみとした作品に本領を発揮している作家だが『ハンティングドッグ』というSFタッチのハードボイルドの他、『地球氷解事紀』という氷河期を迎えた人類を描いた純粋なSF作品も描いている。雑誌連載中は内容が複雑なため未消化で終わったようだが単行本刊行時に大幅な加筆をして完結させた。とはいっても第一部が終了したというような、まだまだ描き足りないといった作者の声が聞こえてきそうな感もある。

 さて、また冬がやって来ます。氷の季節の始まり。氷が重要なモチーフとして登場する作品を読んで寒い季節を楽しんでみるのはいかがでしょうか。

「TOWER・氷号」(森海社)のちに「放課後メイト」(ビデオ出版)に加筆修正。

■漫画博物館/序の序

■漫画博物館/序の序

 ようやく本ブログのメインとなる『漫画博物館』を読んでいただける状況になりました。とは言っても最初の数回は過去に発表したものであることを述べておかないとイケナイでしょう。
「漫画博物館」それ自体の変遷については、また改めてお話しするとして、まずはそれがどんなものか、お読みいただければ幸いです。

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