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2010年5月12日 (水)

■ザ・シャドウマン/さいとう・たかを

初出/少年(1967年)
書誌/秋田サンデーコミックス(全3巻)
     旧・秋田漫画文庫(全3巻)
     リイド社・劇画招待席(全2巻)

 ナチスドイツに協力した日本人医学者・滝沢博士が、世界征服を企む犯罪組織レリッシュの超人計画のために人体改造の研究を進めた結果、ついに超人を誕生させるに至った。
 実験に選ばれた構成員のひとり片桐は、実験中に暴れ出しアジトを飛び出し、強盗の乗った車に出くわし、その驚異の力で車を持ち上げるなど暴れ回り、駆けつけた警官の射撃により絶命してしまう。そして、路上に倒れた片桐の体は警官たちの目の前で見る見る黒人のように肌が黒く変色していくのだった。
 スポーツ選手に代表されるような、黒人の驚異的な肉体のイメージをもとに「シャドウマン」というヒーローを創出したと、秋田書店版単行本のカバー袖の作者のコメントに、さいとう・たかをは記している。
 もっとも超人的な力を発揮するときに肌の色が黒くなるというのは、滝沢博士も予想していなかったことで、失敗作として組織に追われることにもある。もっとも片桐自身、もともとは新聞記者で、レリッシュのことを調べるために身元を隠して潜入していたのだが…。
 レリッシュは、いや滝沢博士はその後完全な超人を次々に成功させ、片桐はその超人たちと対決していくことになるのだが、レリッシュに対抗する世界の平和を守るエンゼルという組織に加わり、活動していくことにもなる。
 
 作品中で詳しいことには触れていないが、細胞に何らかの手を加えることで超人を生み出すというのは、サイボークなどの機械的なものとは違っていて、さいとう・たかをの作品でいえば『デビルキング』に通じるものかもしれない。また、太陽光線を浴びると普通の肌の色に戻り超人的な力もなくなってしまうという設定が用意されているが、これはあまり活かされなかったようだ。
 個人的なことを言うと、本作品を読んだのは連載終了後、秋田サンデーコミックスでも昭和51年の第11版を、さらに数年後に入手して読んでいる。つまり連載からかなりの年月が経ってから読んだわけだが、その面白さはまったく色あせておらず、さらに今回読み返してみても楽しめるものだった。
 片桐がエンゼルに加入するまでは、太陽の光を浴びると普通の人間になってしまうことや、正体を隠していなければならないことなど、ヒーローの暗い部分を描く傾向もあり、その後のヒーロー作品で取り上げられるような部分を扱っていた感もあるのだが、結果としてスーパーヒーローの登場するスパイもの的な作品になってしまった点は少し残念ではある。
 

2010年5月 4日 (火)

本棚の旅■オーム伝/関 一彦

初出/光伸書房・ハイコミックス(全6巻中3巻まで刊行)書き下ろし
   都市・続編連載第1回のみ

『オーム伝』は、昭和四十二年から四十三年にかけて光伸書房の「ハイ・コミックス」という新書版単行本で描き下ろされた、関 一彦の未完のSF漫画である。
 タイトルは正確には『二十一世紀の日本 オーム伝』といい、このタイトルからも判るとおり、舞台は二十一世紀の日本であるが、その社会は資本主義や科学文明が進み、大企業や国家の重要な職務につくものは裕福だが、一般の労働者、ことに工業ロボットなどに職場を奪われた人々は、次に働く場所もなく、毎日の食料にも困窮する「貧民」階層として、社会から差別されている。
 この「貧民」の側に立ち、人々がみな平等な生活をおくれるようにと、その超能力を駆使して、社会と闘うのが、物語の主人公の一人、オームである。オームの正体は不明で、電気の抵抗を表すオームを、レジスタンスに引っかけ、ニックネームとしている。
 これだけで、この作品が白土三平の『忍者武芸帳 影丸伝』や『カムイ伝』をその手本としているのは明白であるが、それにもまして、作者・関 一彦は「この作品を手塚治虫氏と白土三平氏に捧げる 手塚氏からは手段を 白土氏からは方法を学んだ男より」という言葉を、物語を始める前に掲げている。
 第一巻の発行は、奥付によれば昭和四十二年の九月であるが、逆上って推察すれば、この年の前半に、この作品が描かれていたと思われる。そのころ『カムイ伝』はすでに前半の連載が終わっており、平等とはなんであるか、社会とは何であるかという問い掛けが一通り済んでいる。また『オーム伝』の、資本主義による支配階級と貧民という構図。貧民のために立ち上がる主人公という存在は『忍者武芸帳 影丸伝』を連想させる。
 『忍者武芸帳 影丸伝』における、忍者や忍法を、超能力・超能力者に置き換えてみたとき、それはなおさらハッキリとし、一方で社会における支配者と非支配者の対立、解放へのプロセスを読み取るのならば、これが時間と場所を置き換えた、関 一彦の『影丸伝』『カムイ伝』であるのは明らかである。
 関は第二巻のあとがきで、「20世紀の現実を見ると苦々しき事が実に多い。これでは日本はだめだ。その為には若い人たちに20世紀の悪を拡大して描きその現実のなかで、いかに生きるべきか、何をすべきかそんなものを作者は訴えたくて胸ふさがるおもい」であると述べている。
 残念ながら『オーム伝』は三巻までしか発表されず、未完となったが全6巻の未完部分のタイトル(予定)をみると、4巻「動乱の巻」5巻「ノバ爆弾の巻」6巻「フェニックス(不死鳥)の巻」とあり、その展開を想像する限り、関版『影丸伝』『カムイ伝』であったことを改めて確信する。
 ちなみに前述したような支配階級と差別階級という社会ドラマに、宇宙生物の来訪という要素が本作にはプラスされている。宇宙の犯罪者として設定された生物が、地球の支配を狙って支配階級にもぐり込んでいき、その宇宙犯罪者を追ってきた宇宙刑事との対決という、もうひとつのストーリーの流れもあったのだが、こちらは刊行された3巻ではほとんど謎のままとなってしまった。

 絵に関しても少し触れておくと、関の絵は、手塚、白土というより、さいとう・たかを風の劇画であった。全体として手塚や『カムイ伝』初期の白土風の表現と、その後現れたさいとう等の劇画の中間という感じではある(もちろん、さいとう・たかを等の劇画系作家たちも当初は手塚的な絵柄からスタートしていたので、その意味では関の画風も作品発表当時としては特出したものではなかったかもしれない)。とはいえ、シャープな線とスピード感ある展開は、もっと評価されていい作家だったと、この点でも残念である。
 また作品発表当時、超能力の表現については各漫画家たちが模索していたともいえ、関はここでも白土三平の忍術表現を超能力の表現として活用していた(分身の表現などは『サスケ』そのままという印象もあるが…)。
 超能力について付け加えておくと、関は能力を発揮できる人間にはもともと持っているポテンシャルがあるとしている。そのポテンシャルを伸ばし強くすることで超能力を発揮できるようになるという考えなのだが、この「ポテンシャル」という言葉は関以外に使われた記憶がない。人間の潜在能力を引き出すということについては石森章太郎も各作品で表現していたので、根本的な考え方は同じだと思うのだが、関が用いた「ポテンシャル」は残念ながら広まらなかった。

 光伸書房は大阪の貸本出版社の別会社で、貸本の衰退から新書判コミックスに進出するために立ち上げられたと思われる。「ハイコミックス」はその主ブランドで貸本からの流れで劇画系作品を多く出していたようだ。
 昭和四十年代前半はこういった新書判コミックスの出版が相次ぎ、少年マンガ誌に連載された作品が手軽な新書判で刊行されるようになり、雑誌のブランドで新書判単行本のシリーズも誕生してきたころである。結果的に大手出版社の雑誌連載作品が単行本になるという流れにつながっていき、「ハイコミックス」のような描き下ろし作品は消えていってしまう。『オーム伝』が全6巻を予定しながら3巻で刊行が止まってしまったのはそういった状況とも関係していたのだろう。
 また貸本や書き下ろし単行本を主としていた漫画家たちも雑誌掲載を主にしていくわけだが、週刊化したマンガ雑誌のペースなどに抵抗があるなどして、そのまま筆を折った漫画家も少なからずいたようだ。関もそんなひとりに数えられる。
 

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