■金色の瞳[シナリオ小説]
金 色 の 瞳[シナリオ小説]
結 城 涼
街は夏にむせかえり、遠くに見える高層ビル群も心なしか、日射病にかかったように揺らいでみえたが、それはただの陽炎だったのかも知れない。
そこの街角から出てきたアオコはビラ配りの青年に腕をつかまれ、問いかけられた。
「お嬢さん! 冒険、してみませんか」開口一番、グレーのTシャツの袖を肩まで捲くり上げ、ジーンズははいた青年がそう言った。
「冒険?」
「そう、冒険です。遠い宇宙の彼方、まだ誰も知らない星へ。ジャングルの奥深く、知られざる王国へ。今! あなたの生活には、メリハリというものが無いんじゃありませんか?たいくつな日常に文字通りたいくつしているんじゃありませんか? それは冒険していないからです。人類に残された最後のロマン。ね、冒険してみませんか」
「なんだか、つりこまれてしまいそうですが、なにかのツアー?」アオコは青年の気迫に圧され、ややのけ反り加減に答えたが、とっさのことで何を言っているのか自分でもよく分かってはいなかった。
「ツアー? ツアー!」青年はあからさまに軽蔑の目をアオコにくれてから続けて言った。
「ツアーのどこが冒険なんです。目的を決めて、資金を集め、あるいはスポンサーを探し、仲間を集める。これが冒険の基本ですよ。冒険、しましょ」
「冒険、冒険って、一体あたしにどうしろっていうんです」
「そう、つまり冒険していただきたいのです。たとえばこんなふうに」
そう言うが早いか、青年はパッパと服を脱ぎ捨て、裸のまま通りの向こうへと駈けていった。後には通りを行く人々のざわめきと、青年の服と一緒に残されたアオコが居た。
「冒険、て一体なんなのよ」
「アァオコ!」
アオコの後ろから突然肩をたたいたのはミドリだった。ミドリはアオコより三年先輩で、ちょっと口うるさい同僚だった。
「誰、今の人。アオコの彼?」
「やめてよ。何かのアンケートじゃないかなぁ、今会ったばっかりですよ」
「フ~ン。初めて会った人が目の前で裸になっちゃうんだ」
「なっちゃったのよ」二人はしばらく青年の走り去った方角を周りの群衆と一緒に見ていたが、ふとミドリがアオコに向き直りいつものように小言を始めた。
「ところでアオコさん。あなたこのごろヘンね。何か気が抜けちゃってるみたい。ヤル気が無いっていうのかな。ようするにヘンよ、どうしたっていうの」
「べ、別にィ」
「別にってことはないでしょう。仕事をして、それでお金をもらってるんだから、それなりにはしてくれなくちゃ。それに、そうそう、あなた恋人くらいいるんでしょう、そんなんじゃ捨てられちゃうわよ。今どきね、薄暗い娘はダメなのよ。何にしてもハッキリしてる方がいいの。それでなくても最近の若い男ってウジウジしてて、ハッキリしないんだから。これからは、女の時代なの、お互いにガンバラなきゃでしょ。しっかりしてよ」
「ええ、まぁ」と答えてはみたものの、アオコはあなたのようにしっかりしたビジョンを持っているわけではないんだ、と胸の中で呟いてみたりもした。
「ああ、しょうがないわね。その性格直すのよ。いいわね」
ミドリは言いすてるとビルの中へ消えてゆく。アオコはまくしたてられて、しばしぼうぜんとしていたが、ハッと我に返り、ミドリを後を追ってビルの中へ駆け込んで行った。
『お嬢さん、冒険してみませんか』
昼間の青年が、アオコの記憶の中でもう一度問いかけた。
アオコのアパートの部屋にはにはあまり家具は無く、備えつけの流しやガスコンロ、ひとり暮らしにはちょっと贅沢そうな冷蔵庫、部屋の真ん中にベッドが置かれ、アオコが横になっている。明かりはすでに消されて、窓から外の光りが入るだけの薄暗い部屋の中でアオコはまだ眠れないでいた。
『退屈な日常に文字通り退屈しているんじゃありませんか』アオコの頭の中で青年の声がさらに問いかける。
退屈、かぁ。アオコは胸の中でひとり呟いた。社会人になって一年余り、仕事に燃えるミドリとは違うとはいえ、退屈していたわけでもなかった。確かに他の女子社員たち同様、転職や結婚退職の話はよくしてはいる。しかしそれは日常に退屈しているからだとは思っていなかった。
退屈、かぁ。アオコの胸の中で青年の言葉がグルグルと廻り始め、思考をさえぎろうとする。その渦の中心には、ひょっとしてアオコ自身が気づかずにいただけではないか、という不安が、次第に大きな暗黒の口を開いていくのが分かった。
『お嬢さん! 冒険、してみませんか』青年の最初の一言がアオコの耳に蘇ってきた。
「冒険かァ」
言いながらアオコは横になったまま天井を見つめ、様々な夢を描き出す。
「密林の冒険者、か。知られざる王国ねぇ。--宇宙の彼方の誰も知らない星かァ」
まるで子供の頃に見た夢のように、幻は目前を横切っては消えてゆく。アオコはいつしか目を閉じて、眠りに落ちていた。
「お嬢さん、冒険してみませんか」
青年の声が今一度聞こえてきた。
「冒険、してみませんか」
気が付くと例の青年が、ベッドのアオコをのぞき込んでいる。
「な、なんですか、あなたは」
「だから、旅立ちましょう、冒険へ!」
「こんな時間に勝手に他人の家に入り込んで、何言ってんのよ! 自分のしてること、わかってんの!?」
「こんな時間って、ジャングルじゃ夜行性の猛獣も沢山いるから、寝る時は木の上なんかの高い所に寝るとか、焚き火なんかの火をたやさないとか、ちょっとした物音にも目を覚ます精神力が必要なんですよ」
「ここは都会の真ん中で、あたしの部屋よ! どこに猛獣なんか出るのよ」アオコはベッドのうえに起き上がり、青年を怒鳴りつけるが、当の青年の方はまったく気にかける様子もなく、返ってアオコが話を聞かないことに苛立ちを覚えているようだった。
「あーっ、わからない人だな。僕はジャングルの話をしてるんですよ」
「あたしはジャングルなんか、行きません!」
「やっぱりわかってない。ジャングルは危険な所かも知れないけど、また素晴らしい所なんですよ。我々人類がかつて猿であった頃、ジャングルは家であり、庭だったのです」
「何と言われようとジャングルなんか行きません!」
「じゃ、海だ。見渡すかぎりの水平線、夕日の沈むあの海に向かって旅立ちましょう!」「なにしに」
「かつてこの世界を支配したと伝えられる、ムー大陸を探しに!!」
「ムー大陸…。あたしはおねムー」そう言ってアオコはベッドにもぐり込み、青年を無視しようとするのだが、青年の方はそれを許しはしない。
「寝てどうするんですか、寝て。旅立ちましょう、今すぐ!」
「いい加減にしてよ、迷惑してんのよ。さっさと出てってよ、もう」アオコはついに起き出して、青年の背を押しながら玄関の方へと連れて行った。
「待ってください。あなたにはまだ冒険の素晴らしさが…!」押されながらも青年は食い下がり、さらに話を続けようとするが今度はアオコがそれを許さず、ドアを開けながら言った。
「また今度ね。今度は昼間にしてよね」ドアの外へ青年を追い出し、ベッドに帰ろうとするアオコの背に、青年がドアから顔だけのぞかせて叫んだ。
「今度は必ず、冒険へ旅立ちましょうね!」ギョッとアオコがふりかえるとドアは閉じられ、青年の気配も消える。ベッドにもぐりこみながら、アオコは明日を、日常を思う。
「まったく、明日も会社だっちゅーのになァ。こんな夜中に」
トントン。ドアをノックする弱々しい音がアオコの耳に届いた。ん、とベッドの中からドアの方を見るアオコは、見るだけで起き出そうとはせず、そのまま静かになったドアの向こうの気配を探っている。
ピンポーン。チャイムが鳴らされるとようやくアオコは起き上がり、「またかな」と独り言を言いながらドアの方へと歩いてゆく。
「どなた?」小声で問いながらそっと、細くドアを開けると外に立っていたのは可愛いタイプの女の子だった。こんな真夜中に、という引け目からか、なにか済まなそうな態度が眼の色にも現れているが、その奥には鋭い光りをたたえているのがわかった。
「あの、こちらに裕一さん、おじゃましてませんか」
「裕一? なにかの間違いじゃない? あたしまだ独身だし、そういう知り合いもいませんけど…」
「じゃ、『冒険、冒険』って言ってる人、御存知ありません?」
「あ、あの方、裕一さん?」
「知ってるんですね。今いるんでしょ? 裕一さんどこなの、裕一さん」
女はアオコの部屋に上がり込むと、裕一と呼ぶ相手を探し始め、ベッドの中、押入れの中と隠れていそうなところを一通り探してしまうと、またベッドに戻って今度はやにわに泣き出してしまった。
「一体どうしたっていうの。話くらい聞かせてよ、あたしさっぱりわかんない」
「…ごめんなさい。ごめんなさい。こんな夜中に」
「さ、泣かないで」アオコは女をベッドに座らせると自分もその横に座り彼女の肩に手を回して慰めるように言った。
「実はあたし、彼に捨てられたんです」
「--そう、それで探しにきたってわけ。でもどうしてあたしの所へ」
「昼間あなたと彼が話してるのを友達が見てて、教えてくれて…」
「でも、よくここがわかったわね」
「女の一念です。--わかるでしょ」
「------まぁ」とは言ってみたものの、なにか釈然としないものがそこにはあったが、いまそれを問い正している時ではないような気がして、アオコは女が話し始めるのを待った。
「彼とは長かったのに。もう三年も一緒に住んでて、知り合ったのは五年も前で…。それなのに彼、急に別れるって、『俺は冒険したいから』って急に出ていっちゃって…」
「…冒険」
「彼変わってるけど、そこがまた良かったの。いつも夢見てて、その夢を実現させるのに必死だった。あたしも一緒に夢見ながら、一緒にその夢実現させようとしてたのに…。いつのまにか違ってたのね。あたしとあの人の夢。同じだと二人とも思ってたその夢が、いつの頃からか違ってきて、いつのまにか全然違う夢を見てた……」
「全然違う夢…」
「あたしね、あたし、あの人と結婚して、子供を生んで、平凡に暮らしたかったの。でもね、あの人は違うんだ。結婚とか、形式が嫌いなの。だから三年も同棲してて、子供も作らない。あの人はどこか遠くを見てたんです。いつも。あたしもわかってたのに、一緒に行くつもりだったのに……。」言葉が終わらないうちに女はまた泣き出し、アオコはどうしてよいのかわからないといったふうに、溜め息をついた。
「わかるわよ。彼、一人で行きたがってたんでしょ」
「…ううん。あたしが悪いんです。あたしには冒険の意味が段々わからなくなってきて、旅立つということがどんなことなのか…。あの人は毎日が平凡で退屈だって言うけど、あたしにはそうは思えなかった。むしろ驚くくらいに毎日、毎日いろんなことが起って、変化してるように思えたわ。同じことの繰り返しなんて朝起きて、仕事に行って…みたいな大きな意味でしかなくて、でもそんな生活もよく見てると同じことなんてそんなには無いの。同じにしていられたら楽なのにな、なんて思うくらい同じこと、同じ状態でいることはムズかしいことに気付いたんです。--彼との生活だって、もう繰り返すことなんて出来ない。これって平凡で退屈な日常かしら。あたし達、毎日意識していないだけで、冒険を繰り返してるんじゃないかしら。冒険。冒険って一体なんなんでしょう」
「--そうね。毎日、毎日同じように見えてもそれは見えるだけで、同じじゃないのね」 言葉が不意に途切れ、真夜中の静けさの中で女のすすり泣く声だけが途切れがちに聞こえた。しばらくすると女は時間に気づき、アオコの横から立ち上がった。
「こんな時間にごめんなさい。すみませんでした。あたし彼を探さなきゃなりませんから、もう行きます」
「でも、今からじゃ、探すって言っても…」
「大丈夫です。あの人冒険に向かって歩きはじめて、今輝いてますから夜の方が探しやすいと思うんです。水銀灯の光とは全然違ったその明かり。なにか楽しげに見えるその明かりに近付いて行くと、それは段々人の形になってゆきます。それが、彼。あの人なんです。例え月の無い真っ暗な夜であろうと、あの人は見つけられる。大丈夫なんです」言いながらドアまで行って、開いたドアから半身を出した女の背に、アオコは問いかけた。
「あなたも、冒険に足を踏み出したのね」返事はなくドアは閉じられ、後には静寂とアオコが残るばかりだった。
冒険、冒険。アオコは口の中でつぶやいてみる。アオコの内に広がる疑問と誘惑。
「密林の謎の王国。知られざる砂漠の街。宇宙の彼方、誰も知らない新しい星。…冒険はそんなことだけじゃないのよね。あたし達は毎日の生活でも知らない事、知ったつもりでいることが一杯。まだやってみたことのない事が一杯」
退屈な毎日が
あなたを駆り立てる
冒険へ 夢の国へ
平凡な毎日が
あたしを押しつぶす
冒険を 夢の国を
人はいつも夢見て生きる
たとえ
見果てぬ夢であっても
夢を持っていたいから
あなたは旅立つ
夢を見続けるために
あたしは旅立つ
「お嬢さん! 冒険、してみませんか」
アオコの背に青年の声が、また。振り向くと彼はさっきと同じようにアオコの部屋の中にいた。
「あなた…」アオコは彼が部屋の中にいるそのこと自体はもう気に止めてはいなかった。ただ、たった今この青年を探しにこの部屋を訪れ、いないと知って泣いた一人の女のことを思っていた。
「冒険て素晴らしいと思うでしょ。いつも夢を持って生きることっていいと思うでしょ。旅立つ事が夢を見続けることなんですよ」
「--帰ってあげなさいよ。あの人のとこへ」
「--いえ、まだ早いんです。彼女は旅立ちましたが、僕はまだ。……一歩踏み出したにすぎませんから」そういって彼はアオコに背を向けた。肩が泣いているように見えたのはアオコがそうあってほしいと願ったからかもしれない。青年は少しのあいだそうやって立っていたが、振り返るともうアオコの方は見ようとせずに、大股でドアのところまで歩いてゆくと、静かに、しかし勢いよく出ていった。アオコはしばしドアの方を見つめたまま待ってみたが、今度こそ夜の静けさだけが部屋を充たし、一人になってしまったことを殊更に感じさせているようだった。
「どうしたのアオコ、ずいぶん眠そうね」
翌日オフィスで、アオコの隣でキーボードをたたきながらミドリが言った。アオコはその時、何度目かのあくびをかみ殺していたので、グッと息がノドにつまりそうになり、咳き込んでしまった。
「う、うん。昨夜ちょっと眠れなくて」
「彼が遊びにきてたんじゃないの」ミドリが口元をニッと歪ませたが、目はモニターから離さず、指もキーボードをたたき続けていた。
「そんなんじゃないですよ」
「いいじゃない。別におかしいことじゃないんだから」ミドリの声にはそれほど感情は含まれていなかったが、アオコにしてみれば、ミドリのそういう考え方そのものが好きになれなかった。
「あたしだって本当にそうなら否定しませんよ」
「--あら」アオコの意外な言葉に、ミドリは手を止めてアオコの方を見た。言わなきゃ良かった、とアオコは思ったが、唖然としたミドリの表情がすぐに笑顔になった時、返って戸惑いを感じた。
「素直でよろしい。--ところでさ、今夜予定あるの」
「別に。これといってありませんけど」
「じゃ、さ、ちょっと付き合わない?面白いところがあるんだ」
「面白い--?」アオコが聞き返したその時、部屋の向こうでアオコを呼ぶ声がした。アオコが席を立とうとすると、ミドリは強引とも思える、いつもの調子でアオコに今夜を約束させ、またモニターとキーボードに戻った。
表に出ると夏の日差しは今日も強く、アスファルトに反射して一層それを感じさせる。今年はすでに熱帯夜の連続記録を更新しつつあり、最高気温も過去二番目を記録していた。すれ違う人々の会話の中には「地球温暖化」の兆候である、とか「温室効果」の現れだとか言った、一昔前のSFで見掛けたような言葉が紛れ込んでいる。
「夢がないな」何となく思ったその言葉が裕一を思い出させ、『冒険』という単語を浮かび上がらせた。
「この人たちはみんな退屈しているんだろうか。それとも冒険に旅立った人達なんだろうか」アオコは行き交う人々の流れの中で自分でも卜書きを読むようだと感じながら、出来過ぎで平凡な、しかし新鮮な問いを自らに向けて発した。けれど人々の表情からは何も読み取ることは出来ず、ただ自分もその中の一人であるという不安だけが大きな口を開けて笑っているようだった。
銀行で用事を済ませ外に出たアオコは、背後から低い声で呼び止められた。
「ヤマシタアオコさんですね」振り返ってみるとそこには昨日とは違いやけに真面目な顔をした裕一がいた。
「あ、あなたまた--」
「いやいや、勘違いしないでください。--いや、誰とお間違いになっているかは分かっています。そのことについてちょっとお伺いしたいのですが、時間ありますか」裕一と見えた青年が、アオコに口を開くスキを与えずに言った。
「でも、あの、」人違いしたこともあって、慌ててしまい何と答えていいものか分からなくなっているアオコを、青年は強引に近くの喫茶店へと引きずっていった。
「わたくし、こういう者です」コーヒーを注文すると青年が名刺を差し出していった。そこには『私立探偵』と記され、名前は『カミヅキユウイチ』とあった。
「あの--」
「ま、そう固くならずに。ちょっとお話をお伺いしたいだけですから。あ、タバコいいですか。じゃ、失礼して--。実は最近人を探してくれと頼まれましてね。そう、柳田裕一さんという方なんですが、あなたも御存じですね。どういうわけか私とよく似ている上に名前まで同じでしてね。ええ、奥さんにも初め間違われましてね。それで話を聞いて、お引き受けすることになったような訳で。実を言いますと昨夜あなたのお部屋を彼女に教えたのは私なんですよ。ま、彼女には私のようなものが動いていることは内密にしておくように言ってありますから、そのことはお聞きにならなかったハズですが、あなたも私と会ったことはどうか御内密に。いやそうですか、すみませんね。ところで裕一さんなんですが、昨夜あなたの部屋に行きましたね。ええ、知ってはいたんですが肝心の、彼が今どこに住んでいるのかが全く判っておりませんで。いやいや、あなたがそれを御存知だと思っているわけではなくて、何か手掛かりになるようなことが彼の言葉の中にでも無かったかと。--そうですか。しかし今回は、ただどこどこに住んでました、と言うことでは仕事が終わりそうにありませんね。彼がいったい何を求めて飛び出したのか、何をしようとしているのか、その辺を追求しなくては何の解決にもならないような気がしますよ。冒険、ええ、その話は私も聞いていますが、どうもねぇ。口で言ってるほど行動力がないんですよ、ようするに。あなたはどう思われますか、彼の、その、ああいう部分について。--なるほど、確かに彼は一般論で割り切れる人物ではないでしょうね。ただ、あなたのその話ぶりだと、だいぶ影響を受けているようですね。その、冒険というやつに」
「そうでしょうか」アオコは探偵と称するこの青年が本当に裕一ではないのか疑わずにはいられなかった。話している内容は別人のようだが、元々裕一という人間自体をよく知りはしないのだから、昨日の彼の方が、目の前のユウイチの演技だったとも考えられなくもなかった。
「いろいろとありがとうございました。短い時間のつもりが、長くなってしまってすみませんでした。またお話を伺うことがあるかもしれませんが、その時はまたよろしく」ユウイチはレシートを取って立ち上がるとスタスタとレジに向かい、アオコが追いついてくるまでには勘定を済ませ、店の外に出ていた。表に出ると彼は軽く会釈をして人込みの中へと姿を消した。
アオコがミドリに連れられていったその場所は、最近増え始めた環境音楽や環境VIDEOでストレスを解消しようという「エスニックサロン」の一種だった。
「スタジオは幾つかあるのよ。それぞれ流してるものが違ってて、大体『仕事によるストレス』とか『人間関係によるストレス』とかに分かれてはいるけど自分に合うものを選べばいいの」
そういってミドリが選んだコースではスクリーンに美しい砂浜と透き通った海が映し出されていた。
「静かにね。途中で眠ってしまっても構わないから、リラックスして」中に入るとミドリが小声で注意を与え、二人はそれぞれ席についた。
スタジオの中はそれ程広くはなく、小学校の教室を一回り狭くしたくらいのスペースにリクライニングシートが二十ばかり、正面のスクリーンに向かって置いてあった。それぞれが席につくと照明が落とされ、まず波音が静かに流れ始めた。かすかに聞こえる程度のヴォリュームから段々それとわかる音量になってくる頃、暗かったスクリーンにもミクロネシア周辺を思わせる砂浜と静かに寄せる波がフェードインしてくる。空調も雰囲気を壊さないよう、単調な送風ではなく、自然の風に近いものが使われているらしかった。
「綺麗な海---」スクリーンに映し出されるその光景はとうていこの地上のどこかに存在するとは思えないほどの美しさであった。
青い水平線がアオコのノスタルジックなロマンを呼び覚まし、波音がそれを増長させているようだった。
やがてスクリーンの映像は砂浜から海の中へと移ってゆき、それにともない音の方も海中らしい効果音とシンセサイザーの静かなものへと変わってゆく。人の手がまるで触れていないかのような透き通った水、美しい珊瑚、目前を横切る魚たち。本当にこんな所が同じ地球上に存在しているのだろうかと疑いたくなるような美しさがそこにはあった。 画面は徐々に深度を増してゆくように碧く暗転してゆき、やがて水中を想わせ光と色のグラデーションに変わり、それは他の三方の壁にも反射して、部屋全体が水中のような錯覚に陥る。シンセサイザーの音楽は相変わらず静かに流れていたが、効果音は再び波音に変わっていた。
「どうだった? 疲れがとれたような気がしない?」
およそ一時間のプログラムが終わってロビーのソファに腰掛けるとミドリが言った。
「う、ん。なんか、眠くなるって言うか、落ち着いた気分になれました」
「そう、良かった。これからも来てみるといいわよ」
「そうですね。でも、こういう所って結構お金が掛かるんでしょ」
「今日はあたしのビジターで無料体験って事になってるけど、会員になっちゃえばそう高くもないわよ」
「ミドリさん、会員なんですか」アオコはなんか変な具合になってきたな、と思いながらミドリの顔を見つめた。
「ええ、とってもいいところだからあなたにも教えようと思って連れてきたのよ。どう、部屋で退屈してるよりはマシでしょ」
「えっ」退屈という言葉がアオコを刺激した。
「ここに来てる人たちは大体言ってるわよ。ここに来る前は毎日の生活に退屈してたって。その時はそう思ってなくても、ここに来てそう感じたとかね」
アオコは表情を固くしてミドリを見ていた。頭の中では昼間の人込みが無表情に通り過ぎていった。
--あたしは何とも思っていなかったのに、周りから強引に退屈にさせられてしまうようだ。旅立て、旅立てとせき立てられても、あたしには旅立つ先がまるで見えやしないのに。
「どうしたの?」ミドリが不審そうにアオコの顔をのぞき込んだ。
「いえ。--あたし、そんなに退屈してるように見えます?」アオコが意を決してミドリに問い掛けた。ミドリはその瞳をまともには受けられず、目をそらすと、なにげない素振りで言った。
「そういうわけじゃないんだけどね。別に何か目標を持ってるって訳でも無さそうだしさ、家に帰ってもひとりみたいだから……」
--いったいこの人は何を言っているんだろう。意味がよく判らない。
アオコは混乱する頭でミドリの言った事を何度も繰り返してみては、組み直し、その意味をつかもうとしてみたが、まるでダメだった。
「いらっしゃい。ちょっと会わせたい人がいるから」黙り込んでしまったアオコの手を取ってミドリが立ち上がった。
「どこ、行くんですか」
「いいからついてらっしゃい」ミドリはいつにもまして強引にアオコをどこかへ連れてゆこうとしていた。胸の中では確かに抵抗しているのだが、アオコの身体はミドリの思うままに引っ張られてゆくだけだった。
階段を昇ってワンフロア上に出ると、左手の廊下を進んだ。案内版の前を通り過ぎる時、アオコの目に入ったところによるとその先にあるのは「コミュニケーションサロン」という所らしかった。と思う間もなく、アオコが前に目を戻すと廊下の突き当たりのドアが開け放たれており、そこが「コミュニケーションサロン」というもののようだった。
「こんばんは」ミドリがそう言って入ってゆくと中にいた七、八人の人達もそれぞれ挨拶を返してくる。部屋はさっきのスタジオより少し広いくらいで、ゆったりとした椅子やソファがおかれ、四方の壁際にも木製のベンチがグルッと囲むように作り付けられ、一部はカウンター・バーが設けられていた。
「あなた、アイスコーヒーでいい? じゃ、アイスコーヒーふたつね」まっすぐバーへ行くとミドリがまずオーダーを済ませ、注文した品物を受け取ると近くのベンチへアオコを促した。
「ここはね、さっきのスタジオよりこっちの方がメインなのよ。常連になるとスタジオには寄らないでここで誰かと話してゆくだけっていう人も多いらしいわ」
言われてみればここにいる人たちは前から知っているようではなく、今ここで知り合ったと言う様子だった。初めはアオコのような新参者が気軽に入り込めないのではという警戒心もあったが、それは徐々に薄らいでいった。
「こんばんはミドリさん。今日はお友達を連れてきたんですか」中年の男性が人の良さそうな笑顔で二人の方へやって来た。
「こんばんは。こちら、村上さん。同僚のアオコさんです。ここのことを少し教えてあげてくださいません? この人まだ自分が退屈してることに気づいてないんですよ」そういってミドリは笑った。村上も一緒に笑ったが、アオコは何か来るべきところでは無かったような不安を覚えていた。
「そうですな、ここのことといってもたいした説明はないんですよ。まあ、普段何の交流もない者同士が、ここへ来て楽しくやろうって言うだけでしてね」村上が話しているあいだにも後から入ってきた者、前からいた者など二、三人がアオコの周りに集まってくる。「こちらは? ミドリさんのお友達? そうなの、よろしくね」
「最初は驚かれるかもしれないけど、皆いい人達ばかりだからすぐ仲良くなれるわよ」
「下のスタジオへは行ったの? そう、素晴らしかったでしょ。ここに来てる人達はストレスなんて溜まんないわよ」
集まった人達が口々にアオコに言う。三十代、四十代、五十代といった女性がここには多いようである。中にはアオコやミドリのような年代や、十代のように見える者もいないではないし、村上のような男性会員も少ないという訳ではないようであった。
「ここの人達は新人が来るといつもこうなのよ」ミドリが隣で説明すると、集まった会員たちが笑った。屈託ない笑いであったが、アオコには何か心許せない気がしてならなかった。
「こんにちは」とまた誰かが入ってきた。村上が気がついて入口の方へ呼び掛けた。
「よお、柳田君、こっちへおいでよ。新しい人なんだ」
呼ばれてやって来たのはアオコ達と同年代の青年で、アオコの記憶に引っ掛かった「柳田」という姓が予想させた通り、紛れもなく裕一だった。
「こんばんは」皆の所まで来ると裕一はまた言って、今度はアオコに笑顔を向けた。
「あの、」
「柳田君は歳が近いからいろいろと話しやすいでしょう。私達はまた後でということにして」アオコが何か言おうとするのをさえぎって、村上が皆に言った。集まった人達はそれぞれ元いた場所や新しい話し相手のところへと行ってしまい、後にはアオコ、ミドリ、裕一の三人が残された。
「あの、どういうことなの」アオコが裕一に言った。裕一はミドリとは反対側のアオコの右に腰掛けるととぼけた様子で聞いた。
「どういうことって?」
「あなたがここにいることよ。ミドリも知ってたんでしょこの人のこと。昨日は全然知らない振りしてたけど、初めからここに連れてくるつもりで--」
「待ってよ」ミドリが興奮して声が大きくなり始めたアオコの言葉をさえぎって言った。「待ってよアオコ。そりゃ確かにあなたをここに連れてくるのは目的だったけど、別に悪気があってしたことじゃないんだからさ」ミドリの言葉にはあわてて何かを誤魔化すような響きがあるようにアオコには感じられた。
「アオコ! ねェねェアオコ!」
翌日の職場で、ミドリが昼食から戻ってくるなりアオコのところへチラシを片手にやってくる。
「今そこで、アオコの彼に会ったわよ」
「彼?」
「ほら、昨日の」
「…あ、ちがうって言ったでしょ。あの人にはちゃんと、彼女がいるんだから」
「まあ、いいわ。ホラ、これもらっちゃった」
「え、『冒険に旅立とう!』これ彼が配ってたの?」
「そう、前の道で配ってたのよ」
「冒険者はさいごまで冒険へは旅立てない。彼は自分じゃなくて、自分の意思を運んでくれる冒険者を探してるのね」
「アオコォ。どうしたの」
「ミドリ、冒険て一体何なの。あの人は恋人を捨ててまで冒険に旅立ったはずなのに、未だに旅立てずにいる。何かのパラドックスに捕まってしまったんだわ」
「『遠い宇宙の彼方、まだ誰も知らない星へ。ジャングルの奥深く、知られざる王国へ。旅立ちましょう、冒険を求めて』…何かのツアーでしょ、これ」
「ツアー? ツアー! ツアーは冒険じゃないって彼は言ったせど、ツアーも冒険じゃないかしら。いえ、ツアーそのものじゃなくて、何かをしようとする心。そう、冒険する心の問題なのよ。たとえ平凡に見える毎日でも冒険する心さえあれば、平凡じゃないのよ」
「アオコ、アオコ!」
「ミドリ、あなたも毎日冒険してるんでしょ。女の時代とか、仕事とかっていう」
「アオコ……」
「あたし達は旅立ってるのよ。もうずっと以前に冒険を始めていたんじゃないのかしら。だけどその事に気付いていないだけなんだわ」
「でも、どこから来て、どこへ行こうっていうの」
「--それは答えのない問い掛け。誰もが知っていながら絶対に思い出せない答え」
「答えのない旅を続けているの? あたし達は知らず知らずに旅立ち、答えのない問い掛けを繰り返す」
「日常だわ、平凡な毎日。鏡に向かって発する問い」
「だから、答えを探しに、思い出せない答えを思いだしに旅立つんです」どこからか裕一の声が二人のうえに降ってきた。二人が後ろを振り返るとそこにはいつのまにか裕一が。裕一は街頭で配っていたビラの束を片手に、窓の外、遙遠くを指差して言った。
「行きましょう。密林の奥深く、誰も知らない王国へ。遠い宇宙の彼方未だ知られざる星へ。人類に残された最後のロマン」
「裕一…。あなたは答えを思いだしたの?」
「いや。--僕はね、旅立つ前にわかってしまったような気がするんだ。この問いの答えはないんだってね。あるとすれば、それは答えじゃなくて結果さ。冒険したんだという行為そのものが答えになるんじゃないかなって、そう思えてならないのさ」
「生きている事を確認するために。答えのない問いかけをするために旅立つのね」
ミドリが裕一の指差す遥かを見つめて言ったが、アオコはその遥かを見ようとしない。それは足下にもあるはずのものだと思っているから。
「旅に出るってどういうことなの。あたし達、何かのパラドックスにつかまってるわ。旅に出ることが冒険じゃなくて、冒険することが旅立つことなら実際の行動はもっと身近なものからでもいいはずなのに」
「じゃ、アオコの冒険は?」
「あたしの冒険は確認する心。一秒一秒の時の流れを絶えず確認すること、どんなに大きなものも隅々までよく見ること」
「平凡な毎日も冒険の連続となり得る、か」
「裕一、ミドリ、あたし達はもう旅立ってるのよ。冒険とは何かってことを考え始めた時から、あたし達の旅は始まってたんだわ」
「行きましょう、それぞれの冒険」アオコと裕一の手を取って、ミドリが叫ぶ。
「人類に残された、最後のロマン!」裕一がそれに応えて叫ぶ。三人の姿はその時金色の光りの中で幻のように見えなくなっていった。
真夜中の道の向こうに、ポッと金色の光が見えます。何だかあったかいようなその光は電柱の水銀灯の光なんかとはぜんぜん別のものです。あたしが段々近付いてゆくと、金色の光は人の形になって、それが冒険する心だとわかります。
だからね、輝いている人は真っ暗な夜でもすぐ見つけることが出来るんだよ。
夏の陽炎に歪んだビル群を見る視界を横切って、飛行機雲が一筋描かれてゆく。
風が秋をつれてくる頃に、平凡な日常に退屈した誰かが一人消え、輝く目をした誰かが一人増えた。
〔了〕
「TOWER・冒険号」森海社刊・掲載に加筆修正。
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コメント
アオコの言葉『一秒一秒の時の流れを絶えず確認すること、
どんなに大きなものも隅々までよく見ること』
注意していないと、大波に飲まれていく、流される。
生きるってそんなことの連続だから、アオコのこの言葉の持つ意味がよくわかる。
舞台の上で、演技者が大げさな振りつきで声を張ってセリフにする、
そんな画が浮かんできました。
遥か遠くの見たことのない景色、書き手が想像したものをきちんと文章として現わし、
読み手に想像させることができる、それが文章力なんだなぁと、見せ付けられました。
さすがです。。。
読みながら、非現実的な空間に軽くトリップさせていただいた感じです。
投稿: かおり | 2006年10月19日 (木) 12時06分
これを書いた当時は、状況劇場とか遊機械全自動シアターなど、小劇場がブームだったころです。
唐 十郎の戯曲などを読んで、ちょっと影響を受けました。
また初出に、別の短編の要素を加えて、今回の形になっています(リラクゼーションのあたり)。
投稿: 結城 涼 | 2006年10月23日 (月) 07時33分