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ANOTHER STYLE について

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    「ANOTHER STYLE」はフリーライターのグループ「涼風家(すずかぜや)」のメンバーによるWEBマガジンです。2010年4月21日より毎週水曜の更新で「ニューハーフという生き方」を連載開始。取材させていただけるニューハーフの方も募集しております。

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2005年5月30日 (月)

幻の店

白昼にはビルの影で薄暗いその路地には
夜になるとネオンが明るく灯る
まるで昼と夜が逆さまになったように
夕暮れとともにその路地に集まってくる人々がいる

重い木の扉を開けるとそこには
カウンターがあるだけの小さな店
小柄なママが優しく微笑んでいる

失くしてしまった想い出や
逝ってしまった人たちのことを
誰にともなく囁いている男たち

忘れたい過去を
グラスの中に混ぜ
そっと飲み干すとき
街には朝がやって来ているだろう

明日もまたこの店に

しかし2度と
その店を見つけることはできない
記憶の中の
幻の店

結城 涼/2005年5月30日

風の手紙

僕に手紙が届くように
君の言葉を風に乗せて
世界のどこかへ運んでほしい。

風の吹き抜ける谷間の街に。
氷原の白い家に。

月明かりにかざして
僕が手紙を読むように
君の囁きが耳元を通り過ぎる。

真夜中の虹の向こうで月の花が開く時
君の言葉が夜空をおおい
幻想の未来を呼び覚ます。

いつか昼下がりの草原を
ふたりで歩いた時のように
風に揺れる君の囁きに身体をあずける。

君の笑顔が届かない
夜の街で
僕はひとり待っている。

結城 涼/1988年10月18日 

2005年5月29日 (日)

海へ行きたい

からっぽになった頭の部屋の中で 
小石をひとつ投げてみる
石は遠くまで飛んでいき 視界から消えるが
床に落ちた音がやけに大きく響いてくる
その音の大きさだけ自分が小さくなってゆくようで
からっぽな部屋で
小さくなってゆく自分を見ている
わたしがいる

そよ風の吹くこの星の上で わたし達はなんて
ちっぽけなんだろう
また君と 海へ行きたい

結城 涼/1987年9月7日 

2005年5月27日 (金)

ふたりだけの演奏会

ヴァイヲリン、ヴァイヲリン、
ヴァイヲリン弾いて。
ヴァイヲリン、ヴァイヲリン、
ヴァイヲリン弾いて。
キュルキュ、キュルキュ、キュルキュララ…
月明かりの湖畔。二人だけの演奏会。

結城 涼/1988年10月18日 

ふうけい

水滴の垂れる音に闇の深さを知る

二日続きの雨が上がり
風に流れる雲に透けて
月光が射す湖畔
夜を生きる獣の声が
遠い山影に谺する

お前たちは今を嘆くのか
未来を恐れるのか

なにかが腐ったような悪臭を放つ
都会の残骸の中で
懐かしい一枚の風景を思い出していた

結城 涼/1989年2月8日 

祈祷師のために

あなたの魂を 見かけた
シン と夜の底で

結城 涼/1989年2月8日 

2005年5月26日 (木)

猫目ユウの新・本大好き!

VOL1〔これが劇画だ!!〕

 平田弘史の作品をまともに読んだのは「日本文芸社」から全8巻の作品集(函入りの方である)が刊行されたときだから、決して早いとはいえない。劇画そのものはそれ以前から読んでいたわけで、抵抗があったわけではないが、やはり平田作品が時代劇であるということで食指が伸びなかったというべきだろう。実際、氏の代表作である『薩摩義士伝』や『弓道士魂』などの単行本の存在は知っていたのだから。

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2005年5月25日 (水)

月光

静かな夜。そして蒼い月光。
澄み切った空気と共に窓から採り入れる
一日の終わり。
空をゆっくりと雲が被い、月光がそれを照らす。
数え切れない星たちを従え、夜を見守る美しき女神。
その冷たい光りがぼくを悩ませ、その蒼さがぼくを狂わす。
夜の中でぼくは息をひそめ空を仰ぐ。
その静かな横顔に溜め息し、光りを浴びて立ち尽くす。
静か過ぎる夜に蒼い月光。
光りが描く、音のない音楽。

結城 涼/1989年3月7日 

2005年5月24日 (火)

透明幻視

透明になること、もっと透明に。
光りが透けて見えるくらいに。

静かな午後、そよ風がカーテンを揺らす。

アイスコーヒーのグラスにストローさして
君のことを想う。
透明に、もっと透明な想い。

過ぎた時を思う時、記憶の透明さに驚く。
あの日のことが、まるで昨日のように思える。

透明な午後の風に吹かれ、一人、夢を見た。
透明なぼくが、透明な月光になる夢。
深く、静かな湖の上に、降り注ぐ月光になる夢。

君の瞳の中に映る幻。

結城 涼/1989年3月6日 

月光浴

澄みきった真夜中
きみはソーダ水の泡のように
月の光に溶ける

なんてすてきな一夜の夢

結城 涼

2005年5月23日 (月)

妖精の女王

風と一緒に駆け抜けてゆく。
光の隙間を縫ってゆく。
君は妖精の女王。

月に照らされた裸身は
湖のように透きとおり、
魅惑の瞳で僕の心を捕らえる。

長い髪に夜を絡ませ
時を止めて唄を歌う。

ああ、そのささやき。
ああ、指のさきまでも。

君は美しき夜の女神。
誰も知ることのない夜の底で、
月と星の宝石に飾られ、
君は夜を支配する。

結城 涼

夜の子供

寝静まった街の底で たったひとつの命
石を蹴って遊ぶ
夜霧に浮かぶ街灯かり
 満天の星、星、星
真夜中にフと目を覚まし 窓を開けたら
きっと そんな淋しい子供の魂が
あなたにも見える

結城 涼

2005年5月22日 (日)

妙にやさしくなれそうな夜

夜空をゆっくりと雲がただよう
星の瞬きに 胸の中の懐かしさ
やわらかい風が髪をなでてすぎる
眠りの国の夢の旅人

結城 涼/1987年 

金貨

真夜中の森で、一枚の金貨を湖に投げ込む。
キラッと光って沈んでゆく金貨。
大きな魚がひと飲みにした。
月のきれいな夜にはおなかが金色に光るとさ。

結城 涼/1988年4月21日 

2005年5月21日 (土)

雨の妖精

梅雨だから 今日も雨
窓の外ではじけ落ちる
しずくの妖精たち
傘の華 雨の妖精

結城 涼

2005年5月20日 (金)

帰還

ぼくの生まれた海の底に
明日 夢の中で還ろう
静かな ひどく静かな海の底で
海草と一緒に揺れていよう
冷たい水がぼくを包み やわらかい砂に身を横たえた時
ぼくは ぼくの生まれた海の底に同化する
陽は淡く やわらかく射し込む
風のように波が過ぎる
いつか失ってしまったぼくの場所に あした還ろう

結城 涼/1989年2月7日 

乾電池

アスファルトの歩道に、そっと転がす乾電池一個。
コロコロと、どこまでも。
カタカタと、いつまでも。
君の視点で物を見れたら悩みなんて
ないのかも知れないね。
コロコロと、乾電池いった。
カタカタと、歩道の上。

結城 涼

呼び声

フ、と耳を澄ますと聞こえる、遠い呼び声。
冬の空を横切るカラスの様な、もの悲しい声が
僕の耳に聞こえる。
締め切った窓を時折叩く風でもなく、
静かに唸り続ける冷蔵庫でもない、その声。
僕の記憶の向こう側へ呼びかける
来るべき季節の声。

結城 涼

2005年5月19日 (木)

路地裏の天使

あの娘は十九才 路地裏の天使  淋しい夜には慰めてくれるよ
楽しいことばかりじゃない 人生なんて  
そんな夜 あの娘の胸は暖かいよ
独り占めしようなんて 思ってもダメさ  路地裏の天使 みんなのエンゼル

この街の路地裏で あの娘いつから暮らしてる
慰めてあげる そんなセリフと一緒にさ
この街の路地裏で いつまであの娘に会える
また遊びにいらっしゃい そんなサヨナラ言いながら

生きることに疲れちまったオレ そんなオレにもあの娘は優しかったよ
だけど朝が来るまで 朝が来ればサヨナラ 
きっとまた会えるさ そんな思い抱えて
みんなのエンゼル 路地裏の天使 誰もがあの娘を求めてる オレ一人じゃない

この街の路地裏で あの娘いつから暮らしてる
暖かい胸と 優しい心で包んでくれる
この街の路地裏で もうあの娘に会えない
遠い国に消えた 夜空で光ってる 
この街の路地裏に 天使が一人舞い降りた
淋しい男たちの胸に いつまでも消えない思い出
この街の路地裏の 狭いあの部屋に今日も
天使の羽が舞ってる 誰も言えなかったサヨナラ

あの娘は十九才 路地裏の天使  淋しい夜には慰めてくれるよ
楽しいことばかりじゃない 人生なんて  
そんな夜 あの娘の胸は暖かいよ
独り占めしようなんて 思ってもダメさ  路地裏の天使 みんなのエンゼル

結城 涼 

初出/「TOWER」森海社刊、森海社バンド・オリジナルナンバーとして

信号(あなたからの)

あなたからの信号を  息を詰めて 待ち受けている。
   あなたの その仕種、言葉の断片、わずかな瞳の色の変化すらも。

あなたからの信号は  いつも不意に訪れる。
   思いがけず、言葉失い、身じろぎも出来ない。

あなたからの信号に  わたしの胸は高鳴る。
   その意味の深さ、その愛の深さ、わたしに与えられる情報の深さに。

あなたからの信号が  これからの生き方を変える。
   今まで生きてきた全てを覆す、あなたからの信号。

あなたからの信号を  息を詰めて 待ち受けている。
   その瞬間を、ただその時を。

結城 涼

初出/「TOWER」森海社刊

2005年5月18日 (水)

猫目ユウの、本大好き!

第六回〔秘蔵画集・処女狩り〕

 前回、SMイラストの秋吉 巒を取り上げたが、じつはもう一人ボクの大好きなイラストレーターがいる。
 名前は椋 陽児。劇画家でもあるが、その作品はあくまでもSMモノであり、SM劇画では笠間しろうと双璧を成す。
 劇画の単行本もわりと刊行されていて、中でもサン出版の“サタン・コミックス”シリーズは全八巻の個人SM劇画集である。この劇画集の巻頭にも二点づつ鉛筆画のSMイラストが掲載されているが、椋の本領は、この鉛筆画のSMイラストであると言える。
 これらのイラストがSM雑誌を飾るようになったのは、ボクの知るところ七〇年代後半である。もちろんそれ以前も彼はイラストを描いているが、それらの多くはペン画であったハズである。
 SM雑誌を何冊かご覧になった方がいれば、きっと椋 陽児のイラストは目にしているはずである。それほどに彼を起用する雑誌は多い。しかし前述の劇画とは違い、イラストましてやSMイラストとなるとまとめられるのは奇跡に近い。むろん小説の挿絵としてのイラストばかりではまとめることも難しいとは思うが、グラビア写真と同様、イラストを積極的に取り上げようという姿勢が編集側にもあまり見られないのも事実ではないだろうか。
 そんな状況のなかで、画集として作品がまとめられた数少ない一人が、この椋 陽児というわけである。
 彼の画集は昭和五六年四月五日の奥付でサン出版より「SMコレクター」の増刊として発行された。タイトルは『秘蔵画集・処女狩り』である。この本をボクが入手したのがいつ頃だったか、ちょっと失念してしまったが、新刊ではなくゾッキであったから、同じ五六年としても数カ月後のことだったはずだ。もちろん椋 陽児の存在はすでに知っていて、秋吉とともに好きな画家であったから、書店でこれを見つけたときは、すぐさまレジへ走った。
 「SMコレクター」というのは他のSM雑誌の多くがそうであるようにA5判であるが、『処女狩り』はB5判とサイズが大きいのも、ファンには嬉しい。また、使用されている紙もザラ紙ではなくアート紙で、モノクロのイラストもカラー製版されているようである。四色カラーが四ページ、二色カラーが八ページ、モノクロが一二六ページ、加えてザラ紙にペン画作品「さしえ傑作選」が一六ページと充実した内容であるが、掲載作品もかなりの数に登る。
 椋 陽児のイラストには同じSMモノとしても、例えば異物挿入のシーンとか、排泄といった描写は無いに等しく、おおむね“縛り”であり、その対象は少女が断然多い。ボクが注目するのはその、縛られた少女たちの臨場感というか、デッサン力の素晴らしさである。また、SMの縛りが日本的なものであると言うことを良く知っているのか、椋のイラストの背景は日本家屋、畳の部屋などが多いのも特徴と言えるが、作品全体を通して昭和初期から戦中のイメージを連想させる部分もある。
 幸いにしてこの様な本が存在するので、椋 陽児ファンとしては嬉しいかぎりなのだが、実を言うと小説作品の挿絵もまとめてもらいたいものが少なくない。例えば「SMキング」に連載された「O嬢の物語」の挿絵や「SMフロンティア」の「由起子無残絵」の挿絵などは名作に入ると思うのであるが、いかがだろう。そういえば「別冊SMファン」にはイラストに文章を付けた四、五ページの連載もあったはずだ。誰か、こういった作品を発掘してくれないものか。
〔おわり〕

初出/「TOWER」森海社刊・92年

追記・残念なことに椋 陽児氏もすでに故人である。イラスト作品、劇画作品ともに没後もまとめられており、上記記事執筆当時よりはその作品に触れる機会が多いのは嬉しいことである。

猫目ユウの、本大好き!

第五回〔秋吉 巒を求めて〕

 SM雑誌の存在を知ったのは中学のころだったろうか。始めからボクの場合、変態的なイメージは無く、ただポルノの一ジャンルとして受け止めていたような気がするし、周りの友人たちも同様だったと思う。で、そのSM雑誌の代表的な「顔」のひとつに秋吉 巒のイラストがある。
 秋吉 巒は一言でいって不出世の天才であった。また、生前は自作をすべて手放さなかったという伝説もある。普通、画家は描いた絵を売って生計をたてるわけだが、秋吉はそれをしなかった。自然生活は圧迫されるので、作品を手放さずに済む雑誌のイラストなどを主に手掛けることになったのだろう。
 どういういきさつでそうなったのか、やはり生活のためだったのか、秋吉はまず、カストリ雑誌の表紙でその技を公にする。後にこの頃の作品を偶然目にした外国人が、秋吉家を訪れ作品を譲ってほしいと迫ったときにも秋吉はかたくなに拒んだという。日本のコレクターでも銀座で画廊を開いている林氏なども秋吉家を訪れ作品を譲ってもらいたいという交渉をしたらしいが、やはり拒まれたということである。
 また、旧「宝石」誌上では香山 滋の作品にイラストを付けたりもしていたが、後はもっぱらSM誌上での活躍となる。
 秋吉の絵の魅力とは何なのだろうか。ひとつには雑誌作品、いや秋吉の全作品に通じて言える事であるが、エキゾチックな女性が常に描かれているということだろう。そして彼女たちの多くはその肌を惜しげもなく晒しているが、そこには卑猥な空気はなく、美しく幻想的な世界が展開している。北原童夢が「フェティシズムの修辞学」でSM画家を取り上げたとき秋吉 巒は入っていなかったが、まさにこの点において、秋吉の作品がSMを越えた芸術作品であることを示している。
 秋吉がもっとも活躍したのはSM雑誌がポルノの一ジャンルとして定着して行ったのと同じ七〇年代であるが、彼の作品の持つ幻想性とSMイラストにおける神秘性と言ったものは、むしろここ数年、九〇年代に入ってからのボンデージブームにより近かったように感じられる。それは秋吉の作品にシュールレアリズムの流れがあるのと同じ意味で、肉体的なエロスだけでなく、精神的なエロスであったと言うことが出来るからだと思う。
 秋吉は雑誌におけるイラストのほかに油彩をコツコツと描き溜めており、死後、一度だけ銀座の青木画廊で回顧展として発表されている。雑誌に発表された作品も晩年は編集者がアトリエを訪れ、保管されている油彩のなかから適当なものを選んでいたという話も聞いている。
 この時は美術手帳などにも特集が組まれ、初公開の油彩というように紹介されていたが、実のところそれらの多くは昭和四九年にでた『異端文学』という超マイナー誌の巻頭でカラーで紹介されたものである。秋吉の油彩はダリやキリコといった画家たちの世界に近い。が、彼らのように乾いてはおらず、日本的な感情によって創り上げられた秋吉ワールドがそこにはある。
 それにしても残念なのは秋吉 巒の画集が無いことだ。油彩作品は勿論のこと、『SMキング』『SM綺譚』などの雑誌の表紙を飾った作品、小説などの挿絵として描かれたモノクロ作品など、どこかでわずかでもまとめられないものだろうか。
〔おわり〕

初出/「TOWER」森海社刊・92年

追記・その後画集は刊行されている。が、まだまだ埋もれた作品は多い。

猫目ユウの、本大好き!

第四回〔路傍のピクニック〕

 ボクの子供の頃、幼稚園から小学校低学年には「ウルトラマン」を代表する第一次怪獣ブームがあり、小学校高学年には第二次ブームと「仮面ライダー」など等身大ヒーローを多く輩出する変身ブームが吹き荒れた。と同時に外国のSFドラマ、「タイムトンネル」や「サンダーバード」「謎の円盤UFO」などもTVでたて続けに放映された。考えてみれば、昭和四十年代と言うのはそういう時代だったようで、ボクのSF好きみたいなところはきっとこの時期に作られていったのだと思う。
 中学、高校で早川文庫等でSFをよく読んだが、やはり米英作家か日本の作家のものが主で、ヨーロッパはもちろんソ連の作品というのはこちらで手を出す以前に、翻訳が少ないというのも事実だった。その中でも異色として知られるストルガツキー兄弟について少し書こうと思う。
 どうしてA&B・ストルガツキーの『ストーカー』に興味を持ったのか良く憶えていないのだが、その少し前にレムの『ソラリスの陽のもとに』などを集中的に読んでいた流れで、東欧物として手に取ったのかも知れないし、カバーの写真(タルコフスキーの映画からのスチール)が目を引いたのかも知れない。また、ストルガツキー兄弟についての予備知識というのは、ソ連の現代作家であるということ、翻訳は数編があるだけということ、位であった。
 読後の感想は、一言でいってショックだった。ここにはボクが慣れ親しんだアメリカ的、或いはその影響を受けた日本のSFには見られないものが多くあった。
 SFのジャンルで言うと、この作品はファースト・コンタクト物にあたるが、とにかく着眼点がユニークで、地球に異星人らしき一団が訪れたらしい、ことくらいしか読者には情報が与えられない。もちろん作中の人物たちにもはっきりしたことは分かっていない。異星人が訪れた場所一帯は、それ以前と比べ変質してしまっており、地球の常識の通じない場所として閉ざされ、“ゾーン”と呼ばれることになる。そのゾーンに侵入して変質した様々な物品、異星人が残していったらしいものなどを持ちかえり、売りさばくのがストーカーと呼ばれる一種のアウトローであり、主人公のレドリックもその一人である。タイトル(原題)の『路傍のピクニック(または道端のキャンプ)』はこうした点をふまえて付けられている。邦題はタルコフスキーの映画からタイトルが採られた。つまり彼ら(異星人)にしてみればピクニックの途中、ちょっと休憩に立ち寄ったにすぎないような出来事も、そこにいたわれわれ人類にとっては大事件だった、というものなのだ。
 こういったアイデアの良さ、というよりボクらの虚をついて目のウロコを取ってくれる様なところは『収容所惑星(原題・有人島)』でも見ることが出来る。この作品は、地球上ではダメ青年の主人公が宇宙に出て冒険を繰り返し成長してゆくと言うものであるが、思わず引き込まれてしまうストーリー展開とショッキングな結末は『ストーカー』に負けず劣らずの出来である。
 ある意味でこれら西洋の読者に喜ばれる作品が、旧体制のソ連で非難の対象にされるところも多かったのだろうが、出版という点でストルガツキー兄弟はずんぶん不運な目を見ている。その辺りは作品の解説などで深見 弾氏が多く語っているので参照いただくとして、ここでは割愛する。
 ここ数年は早川書房の『波が風を消す』(「収容所惑星」「蟻塚の中のかぶと虫」につづくシリーズ三作目)の他は群像社からシリーズとして六点ほど翻訳が出ている。
 兄のアルカジイは九〇年秋に亡くなってしまった。ソ連の状況を見るにつけ、これからがストルガツキー兄弟活躍の時代であったと思わずにいられないだけに、大変残念である。ご冥福をお祈りいたします。
〔おわり〕

初出/「TOWER」森海社刊・92年

猫目ユウの、本大好き!

第三回〔幻想器械〕

 日影丈吉氏の作品を初めて読んだのは高校を卒業したばかりのころで、牧神社の「未刊行短編集」のうち『幻想器械』だけが神田のゾッキ本屋に並んでいるのを手に入れたのだった。
 推理小説というのが、どうにも肌に会わなくて、それまでまともに読んだことがなかったこともあって、幻想味のある日影氏の作品は新しい読書の楽しみを与えてくれたのを覚えている。
 そしてボクが決定的に日影丈吉ファンになったのは、その幻想味溢れる短編小説によってであった。丁度、この頃は現代教養文庫の「異色作家シリーズ」も完結し、久生十蘭や香山 滋らと共に日影丈吉傑作集も三冊が書店に並んでいた。これは一、二巻が短編集で、三巻が長編小説『内部の真実』であるが、ボクは二巻『猫の泉』の表題作「猫の泉」でもって日影ファンになったといっても過言ではない。またタイミング的にも講談社文庫から『幻想博物誌』が出たり、学芸書林の『恐怖博物誌』『幻想博物誌』が神田のゾッキ本屋を中心に古書店に出回っていた頃で、日影の短編を読む機会は多かった上に、何となく“復活”ムードで徳間書店から『咬まれた手』や『一丁倫敦殺人事件』などの書き下ろし長編推理も刊行された。さらにはそれらの解説などで氏の『ハイカラ右京探偵暦』が面白い事を知り、教養文庫で手に入れさっそく読んだが、なるほど面白かった。
 明治時代の私立探偵ハイカラ右京の活躍を描いた短編シリーズである本書は、日影氏の最初の単行本でもあった。明治期の東京を見事な描写力で書き上げているのは、氏が幼いころとはいえ、その頃の東京を少しでも知っていたというのが大きいだろう。探偵物や推理物のアンソロジーでは滅多に取り上げられないシリーズではあるが、じつは隠れた傑作短編シリーズである。
 何となく手に入るものは一通り手に入れてしまったような頃、ボクは神田の古書店でアルバイトを始めた。今はもう無い店だが、SFと推理に力を入れており、大分荒稼ぎしていた。そんな店だからボクが日影ファンだと洩らすとすぐさま日影丈吉の本が揃ってしまう。さすがに金銭的な事情もあって全て買うことは出来なかったが『夜の処刑者』や『非常階段』『現代忍者考』『夜は楽しむもの』といった、当時すでにお目にかからない本を何冊か買えた。中でも『イヌの記録』は「ハイカラ右京」と対を成す、現代版の探偵シリーズで、かなり面白かった。この本の面白さについては、日影氏の文庫の解説で金井美恵子氏が語っているほどなのだが、どうして文庫はおろか、何かの形で出しなおされないのか、不思議である。
 氏の代表長編推理のひとつ『真赤な子犬』も、初版の「桃源社書き下ろし推理小説」で手に入れた。後に東都書房や徳間書店で出しなおされているが、実はラストが大幅に書き足されている。ボクは桃源社版の方が好きなのだが、推理ファンには物足りないのかもしれない。
 エッセイも数点、文庫で出たものは読んだが、殆どは料理に関するものである。肩に力の入らない楽しい読み物で、こういう物から日影作品に入ってくる女性読者も多いのではなかろうか。日影氏はフランス料理の研究家でもあり『ふらんす料理への招待』はそういった氏の経験を生かしたエッセイ集であり、推理作家の一面を併せ持つ『ミステリー食事学』ミステリーファンへは『名探偵WOH’S WOH』がある。
 日影丈吉は九一年九月二二日、亡くなった。晩年においてもまだまだ筆に衰えもなく、『夢の藩種』や『泥汽車』などさらに幻想味豊かな作品を期待させる創作を発表していただけに残念である。あらためてご冥福を祈りたい。
〔終わり〕

初出/「TOWER」森海社刊・91年

追記・「国書刊行会」より『日影丈吉全集』が刊行されている。

猫目ユウの、本大好き!

第二回〔吸血鬼!  吸血鬼〕

 すでにもう怪物、妖怪と言えば吸血鬼(ドラキュラ)かフランケンシュタインが誰の頭にも思い浮かぶだろう程、吸血鬼という言葉はポピュラーなものになってしまっている。もちろんこれは映画の影響大というところだが、それ以上に吸血鬼というキャラクター設定が人々にアピールするものだったということだろう。
 吸血鬼はみなさんもご存知のとおり、イギリスのブラム・ストーカーの長編小説『吸血鬼ドラキュラ』、またこれを原作とした映画によって全世界に知られることになった。もちろんストーカー以前にもジョン・ポリドリの短編小説『吸血鬼』があり、各地の吸血鬼伝説といったものもあったわけだが、やはり「ドラキュラ」という人名を吸血鬼の代名詞にまでしたストーカーを吸血鬼小説の代表格とみていいだろうし、一般的には吸血鬼小説の祖とも認じられている。
 ブラム・ストーカー以後『吸血鬼ドラキュラ』を踏まえた形、或いはまったく新しい形と様々な吸血鬼小説が書かれ、舞台にされ映画が作られていったわけだが、ボクがこれまでに読んだ中で特に気に入っている作品がふたつある。
 ひとつはドイツの作家ハンス・ハインツ・エーヴェルス(一八七一~一九四三)の『吸血鬼(ヴァンパイア)』(創土社・一九七六年八月一五日初版発行)である。
 この小説は著者の分身とも言うべき主人公フランク・ブラウン三部作の三作目である。内容は第一次大戦中の著者の経験などが色濃く、またヒトラーの登場を予見しているとも言われているが、吸血を一種の病気と見なしている点、純粋な吸血鬼文学とは言えないかもしれない。しかし物語中の吸血行為の扱いは見るべきものがあるし、作品全体の描写力、展開、ラストの余韻等、なぜこの作品が埋もれてしまっているのか疑問を抱かずにいられない。
 フランクは主に女性と同衾すると相手の血を吸ってしまうのだが(本人には自覚がない)、今なら血に対するフェティシズムだとか、その方面からのアプローチも面白いのではないか。また同衾した女性の一人、性的に解放されたプリマ歌手は、人間の内には様々な獣が棲んでいる、そしてフランクの内には「あなたは南京虫の魂をもっているのよ。あるいは蚤の魂を! あなたは蚊か--ひょっとしたら蜘蛛か蝙蝠--ともかく血を吸うものならなんでも、あなたなのよ!」と言い捨てるシーンがあるが、これも前述に関連して興味深いシーンである。
 さて、もうひとつは割合に新しく、翻訳は九〇年の秋に出た、ジョージ・R・R・マーティンの『フィーバードリーム(上・下)』(創元ノヴェルス 一九九〇年一一月九日初版発行)である。
 伝説や魔法がまだまだ力を持っていた中世から、科学万能の近代となり、吸血鬼はいかに生き残るか。そんな主題の上に、蒸気船「フィーバードリーム」号と船長アブナー、吸血鬼同士の主権闘争などを絡め、アメリカ・ミシシッピ川を舞台に展開する冒険ロマンである。とにかく面白い!
 またこの作品は、日本の若い読者に受け入れやすいモチーフが多い。といのも主人公の吸血鬼が美貌の青年であるとか、昼は暗い船室に閉じこもっているが、どうしても必要なときは外に出ることもできるとか、血の代わりに特製のワインを飲んでいるとか、つまり少女マンガでお馴染みの設定に近いのである。主人公であるジョシュアは自らの体験や研究により自分たち吸血鬼は人間とは体質の違った人種だと感じていたり、エーヴェルス同様、吸血鬼を科学的に解釈しようという試みも少しだけ見られる。さらには副主人公の船長、「フィーバードリーム」号自体が物語を大いに盛り上げてくれる。これほど面白い小説にはめったにお目にかかれない、おすすめ本であることは言うまでもない。

初出/「TOWER」森海社刊・91年

追記・『フィーバードリーム』の作者、ジョージ・R・R・マーティンの連作SF『タフの方舟』も最高に面白い。

                    

猫目ユウの、本大好き!

第一回〔絶版文庫探索記〕

  近頃どうも文庫本が気になり出した。正確には近頃ではなくて、ずっと以前からなのだが、それほどでもない時、どうしても気になる時といった波があって、丁度今が気になる時期と言えるかもしれない。しかし今回はただ単純に興味の波に当たっているのとは違って、かなり問題意識を持っているのも確かではある。
  キッカケは講談社文庫である。旧装丁のものを集めようと思って、目についたものを古書店で一冊二冊と買っているうちに、巻末の刊行リストに、現在絶版もしくは新刊書店店頭に見掛けられない作品の多さに驚いた。
  文庫本がブームになってから久しい。毎月一社が刊行する文庫本の点数も平均すれば五点くらいにはなるだろうか、その出版社の数、文庫本シリーズの種類自体が十指に余るのだから書店としても既刊分全点を置きたくても置けないのが実情だろう。したがって、とりわけ売れるもの、人気作家の作品以外は新刊として一度店頭に並べられたあとは、注文しないかぎり一般読者の目には触れないという事になり、版元も在庫が切れれば品切れ・絶版扱いとなる。もちろん各社の出版目録に載っていようとも、実際書店に無いのでは絶版も同じなのである。
  そんな文庫の置かれた状況なんかも聞きかじっていたから、特に翻訳物などは気をつけていたが、このところはそのかいあってかおかしな本に出くわすこともある。
  最近のヒットは何と言っても角川文庫の『マドモアゼル傑作集(昭和四十五年八月十日初版発行)』常磐新平編(赤  二六四)である。
  読者の中にこの本を御存じの方或いは所有されている方はいらっしゃるだろうか。誠に奇妙というか、文字通り傑作である。
  だいたい背のタイトルが太めの明朝体と言うところから少し前の本であることが分かるし、表紙の少女の写真も内容を表しているのだかいないのだかさっぱり判らない辺り、実に怪しげでいいのである。
  内容は、アメリカで出ていた『マドモアゼル』という「若い女性の雑誌」(あとがきより)に載った短編小説のアンソロジーである。もちろん小女向けのものであったり、この中でしか見たことのない作家の作品もあったりはするが、中にはレイ・ブラッドベリやマルセル・エイメ、アルベルト・モラヴィアなどの作家も含まれアンソロジーとしてのまとまりも味つけもある。
  角川文庫はどういうわけか翻訳物に絶版が多く、バタイユの『マダムエドワルダ(昭和五十一年二月二十八日初版発行)』やサドの『恋のかけひき(昭和四十八年九月二十日初版発行)』など古書価格の高いものも少なくない。なかでも『怪奇と幻想』という全三巻のアンソロジーはずいぶん前から高かった。これは矢野浩三郎編で第一巻が「吸血鬼と魔女」二巻「怪物」三巻「残酷なファンタジー」という構成で、特に第一巻に収められた「吸血鬼ヴァーニー」は他では読めない貴重なものだ。実を言うとボクは第三巻の「残酷なファンタジー」を持っていない。どなたか手放してもいいという方がいたらぜひ連絡を頂きたい。
  またこの怪奇文学のアンソロジーという分野はいずれまとめて取り上げる予定なので、ご意見や資料などお寄せ頂ければありがたい。
  さて紙面も尽きてきた。絶版文庫はこれからも増え続けるし、その発掘と探索も続くだろう。いづれまたその成果を発表できれば、と思う。
〔おわり〕
初出/「TOWER」森海社刊・91年

2005年5月17日 (火)

涼風家シネマクラブ■樹の海/JUKAI

樹の海/JUKAI
監督/瀧本智行
キャスト/萩原聖人、井川 遥、池内博之、津田寛治、小嶺麗奈 ほか2004年/日本/119分

「樹の海」と書いて「じゅかい」と読む。つまり富士の樹海、青木ヶ原を舞台にした物語だ。
 4つのエピソードからなる物語は悪徳金融業者や横領犯、ストーカーといった主人公たちによって進められていく。さまざまな形で人生の最後を樹海の中で迎えようとする人々とそのいきさつを腰を据えて描いていくスタイルは、一見テレビドラマでも良さそうに感じられるが、映画館という空間で見てこそ心に響いてくるものがあるように思う。
JUKAI

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涼風家シネマクラブ■帰郷

帰郷
監督/萩生田宏治
キャスト/西島秀俊、片岡礼子、守山玲愛、吉行和子、高橋長英、ほか
2004年/日本/82分

 ある日突然、実家の母から「結婚します」というハガキをもらい、急きょ帰郷する主人公。父が死んでから女手ひとつで自分を育ててくれた母が、なんで今さら再婚するのかと思いながらも、幼なじみの父親と再婚する母を祝福する。
 結婚式のあと、幼なじみたちと飲んでいると、同級生で、突然故郷から姿を消した深雪が、離婚して子供を連れて戻ってきていることを知る。実は主人公・晴男は深雪が故郷を出る前日、彼女と初体験をしていたのだった。
 深雪とふたりで話しているうちに、ヘンな雰囲気になり、あのときにようにふたりは…。帰宅する道で「明日、家に来て」と深雪に誘われ、晴男は東京に戻る前に深雪の家に行くのだが、深雪はまた姿を消し、娘だけが残されている。目が晴男くんにそっくり…という意味深な言葉を残したまま連絡のつかない深雪を探しながら、晴男は娘が思いつく、深雪のいそうな場所を辿っていくのだが…。
 大人になりきれない晴男が、深雪の娘と行動を共にするうちに、ちょっとだけ成長していく。多くの人がそうであるように、子供と接することで大人になっていくという経験を、晴男も体験していくのだ。子供を持ったばかりの人たちには身近な追体験だろうし、まだ子供のいない人にとっても晴男と共感することのできる感覚ではないだろうか。
 晴男は娘に、いつしか本当の親子のような感覚を抱く。それは深雪の残した意味深な言葉のせいもあるだろうが、娘といっしょにいることで父と娘というつながりを意識するのだ。
 とはいえ監督はことさら大げさにそれを語ろうとはしていない。むしろ淡々とした印象すら受けるだろう。しかしその語り口が観るものの心の中にジワッと染み込んでいくのだ。
 少年のような生真面目さで娘に接する晴男が、いやおうなく「父」にならざるを得ない状況で、深雪が見つからなければ自分が育てていこうとまで決意していく経過は、女性のように妊娠期間中から母になっていくのとは違う、男の姿かもしれない。この映画で、家族や周囲とのつながりを考えてみるのもいいだろう。

涼風家シネマクラブ■コーラス

コーラス
監督/クリストフ・バラティエ
キャスト/ジェラール・ジュニョ、フランソワ・ベルレアン、ジャン=バティスト・モニエ ほか
2004年/フランス/97分

 フランスの寄宿舎を舞台にした話というと70年代の少女マンガを思い出したりしてしまうが、ここで描かれるのは同性愛ではない。
chorus

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涼風家シネマクラブ■さよなら、さよならハリウッド

さよなら、さよならハリウッド
監督・主演/ウディ・アレン
キャスト/ティア・レオーニ、トリート・ウィリアムズ、ほか
2002年/アメリカ/113分

 ウディ・アレンといえばニューヨーク、マンハッタン。今回もニューヨークを舞台にした映画である。
 かつてはアカデミー賞も獲ったことのある映画監督だが、その性格から現在はCM撮影すらまともにできない主人公のヴァル。そんな彼にハリウッドの大手映画会社から話題作の監督としてオファーが入る。それは元妻・エリーがプロデューサーとして彼を推薦したことで実現したことであったが、映画会社の社長はエリーの現在の恋人で、ヴァルからエリーを奪った張本人でもあった。
 イロイロな葛藤の末、監督を引き受けることになったヴァルだが、クランクインの前日、ストレスから視力を一時的に失ってしまう。右腕のエージェント、アルの助言もあって周囲にそのことを隠して監督をするヴァルだったが…。
 笑って泣けてホッとする、そんなウディ・アレンのスタイルが今回も遺憾なく発揮された作品だ。
 腕はいいがワガママで、有能な補佐がいないといい仕事ができない主人公を軽妙に演じるウディ。そんな彼を信じて助け、ときには叱るエリー。ふたりはいつしかかつての夫婦のように、いや恋人に戻っていく。 映画の中で映画の撮影が進むという、劇中劇のような部分もあるが、ウディが演じるウディといった印象で、現実と虚構が混じり合っていく印象もある。
 それにしても、このウディ・アレンという人、観ている人を楽しませるということに関しては本当に天才である。いつのまにか映画に引き込まれて大笑いしたりホロっとしたりしてしまっている自分に気づく。大げさに笑わせようという演出ではなく、日常的な動きや言葉に笑わされてしまうのだ。またそれと同じように主人公の恋愛に引き込まれて行ってしまう。映画は、映画を見ているあいだ、日常のすべてを忘れて映画の中に飛び込んでしまうものだが、ウディの作品はまさにそんな印象があるのではないだろうか。
 疲れている人にはぜひ観てほしい。

ANOTHER STYLE について

 かつて「TOWER」というミニコミ誌がありました。活字作品を中心にしたオールジャンルの創作同人誌で、80年代前半から約10年に渡って隔月刊行されていました。
 その「TOWER」が諸事情によって廃刊したあと、中心メンバーだった結城 涼は新たなミニコミ誌「ANOTHER STYLE」の企画に着手しました。
 しかし、結城とともに本企画を進めていた北山公治が急逝したため、創刊直前に企画はストップしたまま6年が過ぎました。
 今回の「ココログ」版「ANOTHER STYLE」はかつての企画とは違いますが、頓挫した企画のための準備のひとつとして結城 涼をはじめとするライターの作品を掲載していくつもりです。
 当面はさまざまなメディアに発表したものの再録が中心になるかと思いますが、ご支援のほど、ヨロシクお願いいたします。

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